事実認識ということ・・・・・

購読紙(西日本新聞)の、藻谷浩介氏の論評の感想である。恐らく、姉妹紙の東京新聞にも掲載されているのではないかと思う。
その冒頭に・・・・
「大震災に、欧州経済危機に、超円高。2011年は31年振りの貿易赤字が見込まれる。日本経済はこのまま破綻するのか」の論調を非難・否定する・・・当人は、この論調に溜息がであると述べる。
彼は主張する・・・現在の日本経済はそうそう簡単には破綻しない・・・と。そして、大気や水の猛烈な汚染・・・大きな池がゴミで埋め尽くされた光景(中国)を先日、TVの映像に見たばかり・・・とインフレが進む中国やインドに比べれば、日本国民はまだ天国の住民のようなものだ・・・とも。

同じ様なことは、池上章のセミナー(TV)でも、東日本大震災の、損害保険の実態からの判断として、語っていた。つまり、日本の保険会社は、海外資産に一切手を触れずに、その保険の支払いを済ませていて、今も継続しているのだと・・・損害保険は、世界中の保険が会社・・・あるいは個人が・・・そのリスクを相互に持ち合っているのだから、その世界への影響を与えずに解決できるということは、相当な実力と言うことが出来るのだろう・・・と、素人の私だが、想像する。日本経済は強いのである。言い換えれば、私の「懐」が寒いからと言って、日本国家としての「懐」が寒いということではない・・・と、言うことだろう。
私が、如何に貧しくとも、日本国家・社会の健全性があれば、私は生きていける、生命の安全を保障されるということであろうと、私は思う。

先頃、満州開拓団の、戦後の様子がドラマ化されていて、引揚者の一人として、本編を視聴する気にはならなかったが、予告編らしきものを目にした。つまり、関東軍に守られて・・・実は、関東軍を守っていたのが「人柱としての開拓民」だったのだが、開拓民の側にその意識がなく・・・私の家族も似た様なものだが・・・関東軍の、弱体化に全く無関心・・・目の前の収穫だけに気をとられて、悲劇を大きくした・・・そんな実体が描かれているのか、否か、甚だ疑問・・・視聴しなかった一因である。恐らく昨今の、経済事情に怯える国民的雰囲気・・・マスコミの煽る・・・も、そんな体験を踏まえてのものだろうとは思うが・・・・政府が。政治が信用出来ないとの心情もあるだろうが、その反面で、学べるものを学ばない〜風評、付和雷同、扇動に乗る〜己への反省を忘却している己を忘れていることを忘れてはならないだろう。
つまり、「お先真っ暗・・・」の論調が、数字も見ないで、数字の後ろに、幽霊を幻想して怯えているのであろう・・・藻谷氏の論調の主旨であると、私は読んだ。

藻谷論調の一部を抜き出せば・・・・今をときめく韓国のサムスンも、部品の数割を日本からの輸入に頼る(と、聞く)。・・・かつて、自動車の、韓国メーカーの躍進に日本人が怯えていたころ、日本の「金型メーカー」の社長が、「日本の金型がなければ、韓国も、欧州のメーカーもクルマ生産は不可能なのだ・・・と、大見えを切っていた・・・今はどうなのだろう・・・。つまり、産業とは、世界分業であり、最終工程だけで判断されるものではないのである。
また、日本でしか造れない(今のところは・・・)特殊な自動車部品や電子部品、高機能繊維や特殊鋼等のハイテク素材・・・ナノ繊維なども含まれるのだろう・・・、そしてロボット・・・TVのお馬鹿タレントの馬鹿笑い番組しか視聴しない大衆には、見えない日本の姿であり、大衆の、背中に、根拠なき冷や汗を流しながら、TVの馬鹿笑いに同調している大衆の姿でもある・・・藻谷氏は、そうも言いたかったのではないかと、論調を読みながら思ったものである。

また、企業の海外進出を危惧する向きも多いが、枝野大臣の説では・・・統計的には・・・国内に、基幹部分を残して海外に進出した企業は、国内での採用が増えているのだそうだ・・・つまり、日本の、高度経済成長期のアメリカの様相を呈しているということだろうか・・・昭和30年に、高卒技術者の私が、数年後のshift・managerの基礎教育をjobを通じて授けられている頃、「OR」なる単語が、頻繁に登場してきていた。戦中の、アメリカ輸送船を、ドイツの潜水艦攻撃から、如何に効率よく守るか・・・護衛するか・・・と言う統計学である。また、最後まで理解が深まらなかった「実験計画法」・・・田口弦という権威の名前だけが、50年を過ぎた今も記憶に残る。つまり、昭和40年代の、鉄鋼の産業革命・・・を支えたmanagementが、工場現場の哲学として定着しつつあったのである。
鉄鋼各社の「作業改善制度・・・小集団活動」とその後の発展も、トヨタの「カンバン方式」も、その様な、management手法・methodの発展にあるのであり、それが、IT技術に支えられ、時に、IT技術を支え、発展させて、今日があると、考えるべきだろう。そして、globalな技術の世界で、ナノ技術が、今脚光をあびているのである・・・。民族としてのethosには裏表が在る。裏だけを見て嘆き・不安を煽るのは、sadismであろう。

日本で最も汚いと言われた北九州の「空」・・・君津製鉄所の建設に携わりながら、日々美しくなる「北九州の空」を眺めた日々が懐かしい。七色の煙が、「この天の虹」として、映画のタイトルにもなった日は、暦的には、そんなに昔の話ではなかったはずだが、美しくなった北九州の空には、正に「縄文時代」の如くに感じられたものである。
八幡製鉄所の正面にそびえる「皿倉山」・・・これを頂上まで登ると、顔も、鼻の穴も真黒になったものである・・・今日歩けば、どうなるのか・・・歩いて(登って)みたい気もするが、体力がないのが残念である。

昨今、世界は水不足である。中国なども、砂漠化が止まらないと言う。先日、チベットのドラマを視聴した、日頃は首都の乾燥した世界だけを映像に見ているが、揚子江メコン等の、チベット高原に発し、南へ流れる3本の川(大河)が、併流する一帯は、緑あふれる、正に天国の風景が広がっていた・・・将来、中国は、ベトナム、タイへの水戦争を仕掛け・・・この地の占領を宣言するかも知れないな・・・そんなことを、私は思った。
一旦苦境に立てば、道を開く「日本民族」と、事あらば、必ず、まず戦端を開く・・・大陸の民族性に「覇権」は、手に泡の手段であろうが、何時までも、同じ様な手法が生きているのか・・・そう思うのは、愚かであろう。少なくとも、我々には、その愚かさはない。滅びない、現代のローマ帝国としての「日本」・・・私は来たしたい。

古来、日本列島は、中国大陸、朝鮮半島、そしてシベリアの人々には垂涎の地である。「永遠の生きる」為の薬を求めた故事も頷ける・・・・その気持ちは、今日も変わらないだろう。尖閣列島は、その序の口と、我々も覚悟しなければならない・・・その為にも、小さな景気変動に怯えてはならないのである。そして、このまことに小さなこの国が、東洋にアジアに、世界に・・・一つの安心となる時・・・世界が、そろそろ「核抜き地球」の構想を真剣に考え、実現に向かう時であろう。

経済力を国力と考え、その源泉を貨幣としての財に求めて、それを「国力」とする時代は、もう決別の時であろう。富を分け合うとは、弱者に目を向けるとは・・・税金と言う負担を厭わないことである。塩野七生氏によると、ローマ人は各の如く考えたと言う・・・・
・・・働く人だけに「税金」を負担させてはならないと・・・・つまり、その方のお陰で生きている私達も、応分の負担をしようと・・・そして、紀元前から2,3世紀の繁栄があったのだと。そして、「覇権」に目晦ましを喰らい、その精神から遠い政治が生れ、そして滅びたと・・・。滅びた時、働く人にだけ、思い「税負担」が課せられていた・・・良いことでも、腐った性根に、後ずさりは不可能だったのである。