こうすれば・・・こうなる!

こうすれば・・・こうなる!・・・と、約束するのが、manifestであろう。民主党が、先の選挙で、「公約」と云わずに、manifestと称した深意は、未だにはっきりしない。いや、はっきりとしない・公約を、公約らしきものと、大衆に誤解させる意図があったのではないか・・・いわゆる、「未必の故意」というやつである。究極的には「騙される方が悪い・・・」と片付けることもできるが、余程、騙される方が馬鹿で無気力でない限り、その目的を達することは難しい・・・その事例が「子供手当」。対象となる子供が3人もいれば、家族が増えても、5人もいれば、悠々自適で生活可能な「子供手当」が、財政的に維持できるのか・・・労働・勤労を知らない「鳩山由紀夫」をしてしか可能ではない思考ではあっただろう。
懇子供は産みっぱなしでいいですよ・・・そこらに頃がしておけば、後は国が面倒をみますから・・・と、この様に約束すれば・・・・選挙には勝てるだろう。「こうすれば・・・」、「こうなった・・・」のである・・・一先ずは。しかし、政治とは、独りよがりで出来るものではない。「こうすれば・・・」の裏には、厖大な財政が存在しなけれならない・・・官僚を絞れば幾らでも出て来る・・・これも「こうすれば・・・」だったが、「仕分け」で大騒ぎしても、殆ど、「びた一文」でてこなかった・・・「こうならなかった・・・」。
は、manifest選挙を提唱した「北川正恭教授」は、民主党政権の失敗は、進化の過程だとおっしゃるが、少々軽率な「提唱」ではなかったのか・・・教授の意に反して、民主党が、悪どく利用したのかもしれない・・・ことを見逃した責任は感じていないのだろうか。教授は、発展の為の「踊り場」だとおっしゃるが、その「踊り場」にfloorが抜けているのではないか・・・。少々、無責任なadviserであったことに、もう少し厳しい反省をしてもらいたいものだ・・・。
少なくとも、manifestには、納税者への、納税の義務は厳しく書きこんでも、甘い夢を見させてはならないのではないか・・・つまり、manifestとは、国民・市民に、あるいは選挙民に、「覚悟」を迫るものでなければならず・・・その前提で、「こうすれば・・・・」⇒「こうなる・・・」と、表現するべきだろう。
私の提唱するsample・・・消費税を50%にします・・・そして、安心・子育ての子供手当と、教育費の無料化、医療費の無料化等々を実施します・・・と、manifestに記述する勇気・・・そして、この子らが65歳になる頃には、老人医療も、介護費も、全て無料になりますと・・・。