田中真紀子の真意は・・・大学新設のhurdleとして・・・

「政治主導」・・・・そして「官僚排除」は、民主党の「心臓の鼓動」ではなかったのか。当初の意気ごみの最中でも、「教育・官僚」の天下りは、殆どuntouchableだったことを、遅すぎるが、今になって思う。また、退任(あるいは落選)・県知事や落選議員の受け皿としての「教育」への天下り。昨今のTVの中に怒号を上げて「田中真紀子」を批難している面々も、殆どが「天下り」なのだろう。Mediaも、「元・・・・」と、その出自を明らかにすると、今回の田中真紀子の行動の深意も見えて来るというものだろう。取材記者や、mediaの本体も、自らの出自の大学に「話」が及ぶことを怖れて、報道に及び腰になっているのではないか・・・私は、殆ど確信的に思う。
中には、街の活性化の為に大学を誘致する・・・TVの画面では、猫が数匹、のんびりと欠伸をしていたが、こんな街に集まる「若者」・・・特段に街の活性化に興味があるものでもないだろう。また、学校も、地域の人々の生活ぶりとは並はずれた豪華な「寮」を準備するのだろうから、若者と地域の人々との交流もおぼつかないのではないか。彼らが、この街で生活し、学ぶ・・・そして、人格形成の余暇を過す・・・私にはおよそ考えられない。むしろ、集まった学生の群れの前で、乞食坊主然とした首長が、物乞いしている風景・・・そんなものを私は想像する。
そもそも、自分の街の若者が出て行った街に、他の地域の若者を集めて、「銭」だけを頂こう・・・そんな魂胆が卑しい。田中真紀子大臣も、そこはお見通しなのだろう。彼女の発言が「爆弾」の破裂音に聞こえるのは、あるいは、その音に怯えるのは、そもそも、mediaも、首長も、はたまた官僚も、殆ど、発言する大人の責任感が欠如しているからである。
大学立地の審査は3月の申請から始まっていると言うが、その時点で、concrete部分の工事を始めているらしい様子・・・そもそも、「concrete」から「人間」へ・・・民主党の党是、理念に反する、新設大学のmannerではないか・・・田中真紀子大臣の指摘に、真摯に反省すべきだろう。また、それの大声を上げて、否、吠える首長・・・そのprocessに疑義を感じるべきではないのか。自治体行政の「税金」も、多少は投入されているのだろう・・・ならば、市民に、その不始末を詫びるべきであって、大臣に咬み付く理由は、全くない。

大学は出たけれど・・・そんなフレーズが流行した時代もあった。しかし、昨今は、「大学を出ても・・・」となって、傲慢にも、「学卒らしい・・・」、否、「学卒に相応しい・・・」仕事に在りつけない・・・そんな風潮が溢れているのではないか。厳しいrecruit関連の幹部は、求人は求職の2倍近くはあると言う・・・求職側の当人&親が、「学卒に相応しくない・・・」と、仕事を求めないのだとか・・・これこそが、「大學教育」の本質的な瑕疵でなくてなんであるか・・・街づくり、金作り・・・その方法としての「大學新設、拡張」・・・そして、「文部官僚の天下り」の「大学新設、拡張」・・・田中真紀子大臣に咬み付く表情は、まさに「畜生」であり、居直り乞食の恐喝でもある。