政治家の世襲・・・・

自民と民主党の“さや当て”が、新聞・・・購読紙・・・のトップ記事になっていた。私とて、推奨するつもりはない。が、その世襲を越せない政治家志望がだらしないのであるし、己が、政治家として「泥」を被る覚悟もないのに、世襲議員を、世襲であるがゆえに忌避する、批難することに同調する気にはならない。特に、時々、政治家の夫が、志半ばに病や事故に倒れると、妻が、身代り候補としてdebutすることがある・・・最近は少ないが・・・これ等、地域性もあるだろうが、それに代わる人財の存在の有無が問題にされるべきであるだろう。

しかし、鳩山兄弟の様な世襲議員はあってはならない・・・と、私も思うが、それを支える背後の閨閥、財の大きさが、選挙民の願望も含めた政治意識を圧倒して、のうのうと政治家を続けさせているのだろう・・・と、私は想像する。福岡で、鳩山邦男を落選させた、地域の良識を私は評価する一人だが、今回の注目は、北海道9区・・・鳩山由紀夫に挑戦する「元・athlete」である。そもそも、首相を退いたら、議員を止めるべきだと言っていた張本人である・・・それが、のうのうと出て来るのだから、「恥を知れ!」と云いたくなるが、当人や取巻きの云い分では、選挙区の人望なのだそうである。

現在が、大正末期〜昭和初期の政治状況に似ていると論じる識者が多い。そして、「大政翼賛会」への道を辿っているのが、「維新」と「太陽」の野合であるとも・・・昭和初期の政治状況を生みだす大きな要因が「統帥権」だったのだが、斎藤雄幸・・・ライオン宰相とも呼ばれた・・・のロンドン軍縮会議への対応に、先頭に立って「異」を唱え、軍拡政治路線を推進し、東京駅頭で、銃撃されて、その傷が癒えぬ斎藤雄幸を、無理やり国会に呼び出して糾弾・・・彼をして、死を早めたのが、鳩山兄弟の父親・・・鳩山一郎である。そして、戦争末期近くに、反・東条の姿勢に転じて・・・日本の敗戦を確信してのことだろう・・・戦犯を逃れようとしたが、日本の政界は見のがさなかった。戦犯に指名したのは、占領軍だが、その背後で糸を引いたのは、その悪辣な変身を嫌悪した政治勢力だったのだろう。「友愛」とは、反東条としての鳩山一郎の、似非信条だったのだと、私は思う。

話がそれたが・・・世襲の最悪のcase、sampleが鳩山兄弟なのであり、民主党が「世襲」を批難するなら、まず、鳩山由紀夫民主党からの立候補を止めさせるべいだろう・・・それを予感して、彼自身は、脱・民主党、新党結成を目論んでいるのだろう。しかし、未だ、懐に抱えこんでいる現在、口にすることは自己矛盾だろう。

世襲の是非に戻す・・・政治家の一家に生れ育ち、政治の雰囲気の中で育てば、その感性のなかに、政治性が養われることは否み得ないだろう。それが、小渕優子であり、田中真紀子であるだろう。あるいは、小池百合子も含めても良いのではないか・・・決して忌避されることではないだろう。「選挙区」が問題視されるが、それは、殆ど意味のないものだと私は思う。つまり、政治家への志望が生れれば、自らが寄って立つ選挙区等は、父親の力でどうにでもなる問題でもあるだろう。寧ろ、父親の選挙区を継承するほうが近隣の選挙区荒らしを避けられるかも知れない・・・

企業の中で社員を育てるには、costを要する。しかし、一人の青年(例えば)が、政治家を志す場合は、そのcostは自らが負うおのである・・・あるいは、一人の青年を政治家に仕上げるには、それを支援する人々の負うべきcostである。故に、今回の小沢裁判の裏に見え隠れする不明朗な「金銭」の存在が大きな問題にならなければならないのである。「李下に冠を正さず・・・」のphraseの大切さ・・・政治家を育てる畑の清浄さが、時に、世襲を超える人材を国会壇上に送り、政治家を人財として誕生させるのである。

その「負担」を負う心算もなく、energyを消費するつもりもなく、政治へのvisionも持ち得ないままに、世襲を批難するのは虚しいことである。「羨望」・・・キリスト教に言う「七つの大罪」の一つだが、キリスト教徒ならずとも、政治を考える時には、しっかりと「封」をしておくべきだろう。「羨望」から生れる「anarchism」・・・これが、「酔生夢死」の果ての「付和雷同」を惹起し、集団的自殺への動機となる。「特攻」とは、若い、尊い命をして、一部、狂人化した軍人の「脳」が生みだした幻想であり、故に美しい・・・その美しさは当の犠牲者・特攻隊員だけのものであり、我々が、その美しさに酔って、自らを飾ることは許されてはならないものなのである。寧ろ、その発端が、鳩山一郎の似非政治家的思想・行為にあるのではないかと、疑って見る良識は持っていたいものだと、私は思う。