出馬断念・鳩山由紀夫からの連想・・・・

正しい選択・・・私の感性からは、存在してはならない「政治」の一人である。かつては、細川護煕がいた。いずれも、小沢一郎が、己が影武者になった、表で、切り捨てた政治家・・・切り捨てられた政治家である。私の知識の範囲では、「働いたことのない人間」の部類になる。つまり、その背後の「金」や「家系」、あるいは、御先祖の「名」を看板で評価される政治家である。そして、もっといけないのは、彼らが、僅かな、乏しい知識で、「庶民」を演ずること・・・イタリアのベルルスコニーの様に、天真爛漫だと、まだ救いがある。現実に、彼は、今もイタリア国民に愛される政治家であると言う。そして、失政は、彼の取巻き、あるいは閣僚が悪かったのだと・・・イタリア国民は理解しているらしい。

日本で言えば、吉田茂が、ハバナの葉巻を咥え、羽織・袴で傲慢に闊歩しても、やはり、その姿勢が、何かしら、マッカーサーへの好感を見せながらも、何処かで、吉田茂にエールを送っていた、当時の日本人・・・少年だった私世代・・・が多かった。彼が去る時、色々と感情が交錯しても、その不安を払拭してくれたのも吉田茂だった・・・鳩山一郎が、日ソ国交回復で、一先ずの仕事をこなしたのも、彼の育てた官僚上がりの政治家があったればこそ・・・影で、鳩山一郎の晴れ舞台を準備したのは吉田茂だったと、私は考えている。

その後に、己の傲慢を政治姿勢の中に隠さない政治家は、何人か存在したが、その出自を誇るものがない事に国民も安心していた・・・其処へ現れたのが「細川護煕」・・・全く、政治手腕の無い事が、近衛文麿の「大政翼賛会」を心配する人々を安心もさせた。無能さが、一つの評価であり、その背後の黒子・小沢一郎への期待があった・・・鳩山一郎も、その二番煎じを狙ったのだろう・・・話に聞けば、弟の邦男の勧めでもあったと言うから、語るに落ちる。かれら兄弟にとっては、政治は、道楽だったのであろう。

吉田茂は、福岡の麻生財閥の軒を傾ける程の支援を受けて、その政治活動を全うした。私の住む「福津市」にも、その麻生邸が健在である・・・勿論、麻生のものではないが・・・麻生太郎の母・和子のエッセイは、その意味では楽しい一冊である。

もし、吉田茂の瑕疵を云うなら、最後に、鳩山一郎憎しの感情から、白洲次郎を失ったことだろう・・・政治家の最後が、有終を飾って終るこの出来ない「運命」なのかもしれない。その意味では、中曽根以降、大過なく、その「壇」を下りる宰相が多い。政治と云う「名刀」であるべき「刀」が錆びやすい空気を国民が醸しているとも言える。

いわゆる、付和雷同・・・知識があるようで、まだまだ、「考える」力を持たない国民をしてあらしめている政治情勢だとも言える。おそらく、その最大のpopulism政治家が「石原慎太郎」であろうが、この怪物、化け物を世に出した罪は誰にあるのか・・・自民党でも民主党でもない。一つは左翼、そしてもう一つが、無知蒙昧の政治意識を恥じない、無思考大衆の類であろう。私とて、その要因をなしとする自信はない。しかし、日々の、自省・反省は忘れない様にしたいと覚悟する。