アウンサン・スー・チーとシアヌーク、そしてオバマ

中国に泣きついた「シアヌーク」と、全く中国を眼中に入れなかったアウンサン・スー・チーと、そんなことを論じるmediaがないのが残念だが・・・カンボジアの悲惨な一時期・・・歴史・・・と、まだ、軍事政権下の桎梏から完全に抜きだせないミャンマーと・・・そお違いの大きさを私は思う。つまり、カンボジアの払った犠牲の大きさである。

ミャンマーの軍事化には、軍事化せざるを得ない恐怖が存在したのだと思うが、そこにアウンサン・スー・チーが踏み止まらなかったら、この国もまた、カンボジアに似たprocessを経験することになったのではないか・・・と、言う事。同じ仏教徒の国家が、こんなにまで違う歴史を経なければならなかったのか・・・アウンサン・スー・チーの政治的教養の高さの違いなのだろうか。彼女にも、父親が守ろうとした、当時はビルマ・・・軍事的には、強国になり得ない国々が、それなりの力で独立を守ろうとするときに、何が必要か、如何なる選択があるか・・・その桎梏が外れた時の対応も含めた・・・父の遺訓でもあったのだろうか。

その初期に、矢野暢氏が、当時の政治状況を乗り越えて、彼女の支援をしていたことは、つとに有名ではあるが、一人の女子学生の心ない中傷で、氏をして死に追いやったことは、残念の極みではあった。もし、氏の健在があれば、今少し早い民主化への道程も実現していたのではなかったか・・・。

それにしても、強い、且つ賢い女性だと思う。進歩のない政党の党首に収まって、年がら年中、同じ台詞を繰り返す女性党首と比べれば、将に「月とスッポン」・・・勿論、ス・ーチー女史が月である・・・。
オバマと抱き合うアウンサン・スー・チーの写真が、朝刊の一面を飾っていた。となりには、クリントン国務長官もいたはずである。アメリカにとっても、帰るべき友人が、すぐ玄関の前に立っている嬉しさがあるだろう。その陰で、中国が、切歯扼腕・・・悔しがっているのだろう。

日本にも、こんなpauseが似会う政治家が欲しい・・・無理か、旦那が、道で出会った女性・・・昔のclassmateであったにしても・・・に嫉妬して、離婚騒ぎになる、お国柄である。日本の政治家のperformanceするら自由にならない・・・そして、外務大臣や宰相の批判ばかりに熱心な国民である。軍事力で、世界の一位になれないのではない。細かいことばかりに煩い国民が大きな原因なのである。

つまり、「寛容」ということの意味が分かっていないのである。地域の人情が薄く、絆が細く・・・そして、お互いが無関心で、男達の居る場所がない・・・孤独を強いられる・・・のも、全て、噂高い、無教養な女性が、その原因であるし、その「女」達に媚びて、「男女共同作業」等と、男に媚びる笑顔に有頂天になる、ダラしない男達に起因するものでもある。男は男として、女は女として、夫々が、夫々に自分の理性で価値判断出来る様に、研鑽し、己を育てるべきだろう・・・不可能なら、私の様に「巣籠り老人」として、ブログでも書いていろと、忠告したい。