振り子の原理・・・・

「振り子」は、その振幅に要する時間は、振幅の大きさとは無関係である・・・とは、ガリレオ・ガリレイのお言葉である。前回は、民主党の大勝、そして今回は自民党の大勝・・・その前は、小泉・郵政選挙がある。小選挙区だから・・・と言う説もあるが、その“揺れ”の大きさが、個々の政策・政治の結果に表れるとは、私は思わない。景気対策等・・・民主党が思い切った政策を取れるだけの、党内のpower balanceが整っていなかっただけで、自民党との差はそれほど大きくはない・・・と、私は思う。ただ、貧乏人が虚勢を張る様に採用した人気取り政策・・・例えば「子供手当」・・・を仕掛けて、自らの足を救い、党内連繋が破壊された・・・組織とは、極めて人工的なものだから、その組織の必要性への、言葉は不適当だが、「忠誠心」が希薄になれば崩壊する・・・人工の中の自然である。崩壊した組織が、国民に向って「何」を訴えようと言うのか・・・そもそも、政治家ならぬ政治家の集団が「民主党」だった。小沢一郎に、その才能も力もなかった・・・言い換えれば、田中角栄のDNAの賞味期限は切れていたのである。

恐らく、小泉・振り子に振りまわされて自民党を割った議員も、多くは苦戦だった。そして、自民党は健在だった。一時的に下野する。これも、政党を太らせる「肥」である。この連中は、選挙の度に姿を消していくのだと、私は思う。
最も、固い組織を誇る共産党・・・幹部は兎も角、党員の殆どに政治力はない・・・政権を取る必要がないから、「頭数」が揃えばいいのだから、組織さえ健在なら、一定量の勢力は維持できる・・・一つの手法なのでる。
公明党は、信仰のbackboneを持っているので、一定勢力以上の欲を出さねば、健在であり続ける。が、大政党になることは不可能・・・分を弁えた現実的存在と言うべきだろう。最も、健全な“振り子”だと、言えなくもない。

何があっても「不満」・・・mediaは、その様な人(街行く)にマイクを向ける・・・「誰がなっても同じ・・・」だとか、「顔ぶれが変わらない・・・」だとか、「何をやってくれるのか・・・分からない」とか・・・まるで、選挙をしなかった方が、あるいは、専制国家、一党独裁国家、ナチズム的な独裁国家・・・を望むが如き、声を、マイクは拾う。
恐らく、“振り子”を止めよ・・・と、言っているのだろう。振り子を止めれば如何なる事になるのか・・

かつては、大政翼賛会という、半ば、「振り子」停止の政治情勢があり、その中でも、“振り子”を動かそうと頑張った政治家が存在した・・・その様な人物は、忘れ去られたのだろうか・・・そんな事はない。夫々の研究者が、それなりの著書で、その光景を描いてくれる。知ろうとする「人」には、知るchanceがあるのだが・・・近著では「政友会と民政党」等。

時には、お爺さんの古時計の様にゆったりと揺れる振り子があっても良い。イライラしたり、止まるのではないかと、心配するのも趣向であろう。
時に応じて「振り子」を変える・・・次は、残っている「小沢チルドレン」の粛清に「振り子」が揺れるのでは・・・私の予想だが・・・。「振り子」の振幅は、良くも悪くも、国民が決めるのである。それを「愚痴る」のは、将に天井に吐く「唾」であろう。