建国神話と憲法と

ここ数年来のことだろうか、「建国記念日」に関してメディアの扱いが低調である。故意に、無視の格好をしめしているのか、あるいは、政治的な「力」があってのことだろうか・・・定かではない。

しかし、3月とも言われる総選挙には、普天間問題に対する民主党の不手際が、日米外交に暗雲を漂わせた事は否めないし、その影響として、尖閣列島海域の中国漁船が日本巡視艇に、故意に衝突させる事件があり、近くは、北方四島へのロシア政府高官の訪問を非難した菅総理の抗議へのロシアの強硬姿勢があるが、いずれも、現・民主党政権の「外交」の弱さ、対応の不適正さに原因があると、メディアの連日の報道である。

そして、それが集約されるのが、「憲法改正」問題であろう。戦争は外交の一形態ではあっても、外交は戦争に発展させてはならい政治である。北方四島が、まぎれもなく日本の領土であると信じても、武力で奪還することを企図すのでなければ、あくまで外交の舞台で、その解決を計られなければならないものである。しかし、闘うことを禁じた「憲法」が、その国是として正しいものか、適正なものか、況や、持つべき憲法の条件を満たしているかについての、結論を迫られているのが、現状ではないか。

尖閣列島に、沖縄普天間に、そして北方四島に、その外交力を示し得なかった民主党・・・殆ど外交の体を示し得なかった・・・自民党長期政権は微妙に身体を交わし続けた・・・ことの原因が「憲法」にあるとの認識は、可なり国民的な認識になりつつある。今年の「建国記念日」が、燃え上がらなかった原因に、「建国記念日」議論が、憲法改正問題に与える影響を危惧した左翼政党・勢力の思慮遠望があるのではないかと私は考える。

そもそも「建国記念日」とは・・・・・
還暦・・・・中国の古代文化を継承する我々に、十干十二支の組み合わせは馴染み深いものである。この組み合わせは、60通り(最小公倍数)・・・これを還暦年と言う。中国では「一元」である。
蔀(ぼう)・・・・そして、「21元」を「1蔀」と称する・つまり・・・・
60年(1元) × 21元 =1260年・・・・となる。

明治維新の1870年に、歴史学者・那珂通世が、日本書紀を引用して、推古天皇斑鳩に都を置いた「推古9年;西暦601年」から、1260年(1蔀)を遡った西暦660年を、神武天皇即位として起点設定したものである。ちなみに、2011年は、紀元2671年・・・。

昭和15年=紀元2600年。この年に、「東京オリムピック」が行われることになっていて、TV中継の準備も着々と進んでいた・・・殆ど完成。しかし、翌・昭和16年の真珠湾攻撃を前に、その権利を返上した。

悲劇はここに始まったのである。

恐らく「憲法論議」の中で、「紀元」に纏わる神話が登場し、憲法の内容、国民が望む「国体」の形についての議論は、あるいは難しいかもしれないと、危惧する。もし、今日民主党に罪ありせとするならば、「憲法論議・・・これそのものは悪くはない」そのものよりも、意味のない「神話」の正当性の論議に終始するのではないかと言う危惧である。

韓国・時代劇ドラマの中で、「建国神話」が語られ、この妄想的な、現実を無視した国造りを志す「勢力」が、悲劇的な末路を迎える・・・・古・高句麗;現・満州から遼東半島に至る広大な強国として建設されたこの強国が、漢帝国唐帝国を凌駕した国家であったと言う建国神話。百済;史実では、高句麗の1部族が建国した国家でありながら、「百済」とは、日本列島、中国大陸の「百の部族」を従えたという建国神話・・・があり、
高麗国家も、その初期において、古朝鮮(こじょそん)復興への神話を巡って、部族間抗争が激化し、その初期に於いて、悲惨極まる惨殺の歴史がはじまるし、李朝朝鮮の初期にも、これらの建国神話が、宮廷の勢力争いの嵐の中で、闘争の大義名分に使われ、幾多の粛清が行われる・・・。

わが国では、聖徳太子が、随の煬帝に送った親書の中に、建国神話を思わせるものがあると言うが、多分に、唐に滅ぼされた、平壌高句麗の末裔の建国した「渤海(はれ)」の建国を意識したものだったのだろうと、私は推察する。

アメリカの建国記念日は「独立」であり、歴史に燦然と輝く。フランスは、「革命記念日」であり、イギリスは、「大憲章;マグナカルタ」であり、ロシアも革命記念日であるが、共産革命を、あるいは取るのか・・・私には定かではない。つまり、そこに、建国の主人公の姿が明確であることだけを言明しておこう。

果たして、「建国記念日」が、人為的に計算された「紀元」にあることを是とするのか、否か・・・・この建国記念日で、国民の国家意識・理念を醸し出すことが可能なのか・・・私は疑いたい。

寧ろ、1870年に、何故に、西暦660年に起点を定めなければならなかったか・・・それは、神話のままにしておくべきだったのではないか。そして、明治憲法を制定した明治22年を、近代日本の建国記念日とするべきではないのか・・・私は思う。

日本書紀は、歴史書ではある。しかし、正確な考証は困難である・・・殆ど不可能。ならば、神話は神話として、民族として共有し、近代日本の誕生日・憲法制定を、歴史的実証としての建国記念日にするべきではないのか・・・。

近代の朝鮮半島の国家・・・わたしは、日本に依る「併合」の歴史は、近代朝鮮人・韓国国民の怨暛であっても、何故にそこに至る国家であらねばならなかったのかを思う時に、この半島に勃興し、あるは衰亡した帝国の「古朝鮮高句麗」の建国神話が大きく影響しているのではないかと考える。そして・・・・

実証性なき「神話的歴史」は、そこに意味のない論争を惹起し、国家の存在をも危うくすると確信する一人である。民族が、国民が、その神話に勇気を貰っても、常に、真摯に、真剣に学び、継承しなければならないのは、実証性のある「歴史」であることを忘れてはならないと思う。