小沢一郎の晩節とは・・・・


党員資格を停止された小沢一郎。内心穏やかならざるものがあるだろう。これで、解散・総選挙の準備が整ったと云う事だろうか。党員資格を停止されれば、立候補の公認も受けられない。直ぐにでも総選挙があれば、無所属での立候補を余儀なくされる。民主党から対立候補が出るか、否か・・・それは俄かには判断できないが、乾坤一滴勝負を挑む兵がいないとは限らない。小沢一郎の力、評価が如何なるものか・・・私には計りかねるが、岩手の人々も、その往生際の悪さに壁璧しているのではないかとの憶測に納得させられるものがある。

恐らく支持者の多くは高齢者に多いのだろうと想像する。中年クラスが、どの程度指示するかが、当落の分水嶺だろうが、高齢者も、高等学校以上の学歴を持つ人々である。これまでは、その父親や母親、親せき筋の叔父叔母の影響をむ脱がれなかったであろうが、今日ほどにmediaの情報があれば、かつての大家族では無いだけに、己個人の判断の余地が広い。そう簡単に、票田がそのまま残っているものでもないだろう。況や、党員資格の停止であれば、地域の代議士としての価値の低下も避けられない。加えて、逮捕・起訴される3人の元付け人も、殆ど政治生命を失っているのだろうから、岩手の政治地図も、既に変わっているのかも知れない。

少なくとも、今回の小沢一郎は終始受け身である。配下の有象無象も、形ばかりのgestureは見せるが、実効ある政治的な抵抗、あるいは新たな活路を開く程の力を持たない現実は明らかである。

一部自民党に、小沢引きこみの噂があるようだが、それは、民主党への最後の一撃として考えられているのであろうと、推察するが、かえって救済になりかねない。愚かなことは止めて欲しいと思うが、これが政治家の、私の目には愚かさの一面なのだろう。

国民生活の為に、自民党への妥協を求める声が出始めているが、私は、子供手当、高校無償化等のばら撒きが完全に消滅しない限り妥協してはならないと思う。確かに国民生活への影響はあるだろう。しかし、それは、中身の無いmanifestに踊った国民の自己責任である。その負は、国民自身が負うべきであり、今後の投票行動にしっかりと生かすべきなのである。

己の責任を、すべて政治家の責任とする愚かさ・・・・カダフィの30年間、ムバラクの40年間の専制政治を許した、リビア、エジプトの国民の責任と何ら変わる事はない。

愚かな政治は、愚かな国民が誕生させるものである・・・・その事をしっかり肝に銘じて臥薪嘗胆・・・総選挙を粛々と行いたいと、私は思う。