おっちょこちょい政党・・・「日本維新の会」の誕生か?

政治の最大の敵は「populism」である。また、昨年来、タイガーマスク現象が賑わったが、この「善意」もまた、個人的な、自発的な税金なのである。systemとしての税金には、陰に陽に色々な制約がかかる。税金の平等性とは、金額や率が平等であると云う事ではない。個人にしろ企業にしろ、そこに他を圧倒する収入を得るものは、直接的な投資家、支援者を含む、多くの人々の支持があり支援があって、存在するものである。其処に得られる「所得」に、大きな負担を要請することは、起業意欲を大きく削ぐことになり、社会の為に決して貢献はしない。また、大きすぎる「格差」が生じることは、己の無力を反省する前に、大きな不満を醸成して、社会のsystemそのものを不安定にし、力ある企業化の活動を制限しかねない。

「寄付・貢献」とは、その隘路を可能な限り最小限に留める為に必要なものなのである。かつて、ギリシャやローマでは、「patron」のsystemが、これらの市民社会を支えて、健全な発展を促した。しかし、蛮族の市民化が進捗する過程で、このpatron・systemが衰退し、ギリシャでは市民社会が崩壊し、ローマでは、その精神の喪失と共に、蛮族の軍靴に踏みにじられて滅んだ。

元老院、あるいは大商人は、その死にあたって、自分の子供や孫が優れた市民的能力を有し、市民社会への貢献ができ、社会の発展に寄与できる人物であると判断できる時には、その資産を遺贈するが、その反対の時は、その年齢に関係なく、他人の子供に遺贈したものだと・・・・塩野七生の著書にある。


また、ニューヨークのmetropolitan美術館・・・その他の美術館も、その多くは・・・・寄付がその始まりであり、その発展もまた、寄付なのである。世界に二十数点しか存在しないと云われるフェルメールの絵画が、この美術館には5点もあると云う。ロシアのエルミタージュの様に略だしたものではない。全部が寄付されたものである。返していえば、その寄付が可能な人物になるべく、彼らは本業に力を入れたのである。鉄道王・ハリマンの悪評も、彼の死後の婦人の惨めな終焉も、この意志の欠如のまねいた悲劇でもあると、言われる所以である。

「税金」を安くすると云う事は、社会を疲弊させることに、結果としてなる。まず、市民が、市民たることの覚悟を希薄にする。つまり、何事かを為そうとするとき、己の懐を痛めることなく・・・税の負担を回避して・・・他人の褌で相撲を取ることを考え、それが、成らぬ時は、他を怨暛する事になる・・・・殺伐とした市民感情を醸成するだけである。

イギリスでは、高齢者の旅行者が多い・・・つまり、高い税金を払って、ひとまず安心出来る年金を受給しながら、現在の働きで得られる収入の全てを自分達の為に消費する・・・・その結果として、豊かな・・・贅沢ということではない・・・老後を楽しんでいるのである。

日本の「億万長者」の数は、世界で二番目である・・・・一位はAmerica・・・・人口当たりでは恐らく世界一であろう。そして、その「億万」の財産は氷漬けになっているのだと云う。そして、億万長者には長生きが多いから、90歳の億万長者が60歳の高齢者に、70歳の高齢者に遺産を相続する・・・・その遺産を相続された高齢者は、その遺産を氷漬けする・・・・この連鎖が、今日の不景気の最大の原因だと、あるeconomistは言う。

「無駄使い」するから、減税・・・こんな縮み志向が喜ばれる世相は悲しい。貧困への、スパイラルダウンの道でしかない。先進国では最も税金の安い我が国である。「減税」・・・と叫べば選挙に勝てる・・・・これほ卑しい政治家の精神はないだろう。「もっと出して見ろ!・・・・XXXXなことも可能になるぞ!」と、市民を叱咤激励しないのか・・・・

そんな人気取りに長けた「おっちょこちょい」政治家・・・とも言えないのだが・・・が集まって、政党を作るらしい。選挙の度に10%ずつ税金を下げるらしい。大衆、愚かな市民は大喜び・・・・自らの足元に墓穴を掘っている・・・いや、おっちょこちょい成果が掘らしているのである。結果が苦慮されるが、それを心配するmediaは少ない・・・・残念である

我々は、それほどまでに卑しいのか・・・高負担・・・そして、その負担に求めるべき政策を求める賢さを我々は持っていないのだろうか・・・悲しい事である。また、考えよう!!!!