党議拘束を撤廃すると・・・・


我が国会の隘路は、党議拘束である・・・時に派閥拘束もあるが。自民党の提出した「予算案」は、可なり民主党に配慮しているものになっているらしい。懸案の「子供手当」も、ばら撒きの印象を払拭することを目的としているだけで、内容的には、非常に民主党の主張に近い。「4K」の、他の「3K]についても、与謝野財務相等の主張もあって、manifestとは離れている印象を受けるが、民主党が受け入れられないものではないだろう。後は、面子と党議拘束である。民主党の面子を主張するのは、佐幕派の如き、小沢一郎一派である。しかし、彼らとて、その主張は菅直人を総理の座から引きづり下ろしたいだけ・・・・菅直人を代表に選んだ時からのscheduleであったのだから、いまさら不思議とはしない。

ただ、小沢一郎一派が、manifestへの拘りを見せながら、実は、自民党との連携・連立を目論見ながら、政権への復帰を狙っているだけである。自民党とて、前原、岡田の一派と組めば、その人材の能力から、母屋を取られる恐れがある・・・融合する要素を持ちながら、自らの姿が消える事への恐怖に支配されているのだから、我々国民には見え憎い・・・。

此処は、民主党自民党の密約でもいいから、原則「党議拘束」を外すことにしたら、案外と解決が早いのかもしれない。予算案とは言うが、その80%以上は、民主党でも自民党でも、同じ様な事を考え、予算として計上しているのであろうから、ここは、単純多数決で、個々の議員の良識に順ずる方が、後の修正も軌道の変更も容易になるだろう。所詮人間のやる事、また状況は刻刻と変わる。perfectなものでも、その「もの」が存在するだけで周辺状況を変え、自ら変わらないと存在しないのが人間の仕業である。

党議拘束を外し、個々の議員の責任を見えやすくする・・・・何よりも、「党員」である前に一人の議員であることの意味の方が大きい。その自覚を、国民も、また当の議員も自覚しなければならない。昨今の「ねじれ」の中で、党議拘束の弊害が明らかになりつつあるのではないか。

つまり、「ねじれ」とは、党議拘束がある故の現象なのだ・・・・個人の中での「ねじれ」は、一票が解決する。速やかに党議拘束を撤廃すべし・・・・声を大きくしよう。