ケイタイ・カンニング

カンニングを行った学生が逮捕された。一件落着・・・しかし、「母のこれ以上の迷惑を掛けたくなかった・・・」その、親思いの結果が、入学試験のカンニングであるのが悲しいし、その道を選ぶことしか考えなかったらしい心情がいじましい。祖父母も近くにいるらしいから・・・「一先ず働けよ!」と言ってやれなかったのだろうか。あるいは、祖父母の人脈で、就職の可能性はなかったのだろうか。あるは、亡くなった父の友人の人脈がなかったのだろうか・・・私の想像は、「働く」という選択肢の中で連綿と広がる。

大学に行かなければ・・・子供たちの「恐怖観念」になっているのだとしたら・・・と現代っ子の悲しみを思う。その意味からは、昭和29後半〜30年代前半の「金の卵」達は、子供・資格を早々に捨てて社会人になる過酷な運命と遭遇する怖さはあっても、「大学」という化け物から脅迫されるより幸せだったのかな・・・と、そんな事を思う。もう高齢になっておられる当事者に皆さんは、この事件をどの様に受け止めていらっしゃるのだろうか・・・。

予備校の成績は良かったと云うから、己の頭脳への自負があったのだろうか・・・もしそうだとしたら、この早めの失態は、今後の人生で大きな失態を招かない為の教訓になったとだと、私は思う。残念なのは、「犯罪者」としての烙印を押されてしまったことだが、それを背負っていきていく覚悟があれば、その姿が、大きな評価として見返りになる可能性は大であろう。

私などは、クライストチャーチの「奥田建大」君と比較してしまうのだが、対極にこの様な同世代が存在することは、あるいは、負を背負うことになるだろう。しかし、physicalな負はないのだから、彼以上の努力は容易に可能である。「時代の人」としての再起へ努力を期待したい。

TV報道に感じるのは、弁護士等の法曹界の人々のcommentには温かいものを感じるが、casterやguestのcommentは冷たい。何処かに、「俺達は、清く正しく生きて今日があるのだ・・・」と云う傲慢があるのだろう。一つの運が、今日をあらしめていると云う幸運への感謝が微塵も感じられない卑しさがある。恐らく、取り調べの刑事も優しく接してくれるだろう・・・と、私は期待する。犯罪者にしてしまうのは如何にも残念である。せめて、略式起訴で、執行猶予・・・・私は望みたい。

news原稿を見ながら、気持ちの、感情の籠らない声でnewsを読む。反面で、他人の悲しみや苦悩を、心に痛みを感じる風もなく冷たく、原稿を読む・・・・これすら、私はカンニングだと断定する。出来あがった番組構成・・・それをあたかもアドリブの如く装う・・・これも、ことnewsに限ればカンニングであろう・・・。