監視(防犯)カメラと防犯system・・・・

3歳女児の痛ましい悲劇・・・犯罪者への怒りも、その犯罪者の精神状態を考えざるを得ないのは、「時代」と云うものなのだろうか・・・。「精神鑑定」が取りざたされるだろう。そして、それがまた、遺族の悲しみを駆り立てることになるだろう・・・痛ましいことである。

しかし、監視カメラの映像では、トイレの入り口当たりで3〜4時間もうろうろする犯罪者の姿が観察出来ると云う。只監視するだけのカメラを装備して・・・これを「防犯カメラ」と読んで安心している我々がいることを、ここで反省すべきではないのだろうか。つまり、必要なのは「監視カメラ、防犯カメラ」ではなく、「防犯SYSTEM」なのである。

もちろん、「トイレ」の位置も問題であり、研究に値するだろうが、案外に、これを問題視している建築家、designerが存在するのではないかと、私は推察する。かれらが提唱しても、反応しない我々庶民が、その責は取るべきなのだろうが、奪われた命は還ってこない。ならば、次の命を奪わせてはならないと、考えるべきだろう。

Superであれ、department storeであれ、あはたまた公共の施設であれ、その中で、理不尽に命が奪われることがあってはならないことであり、あるいは、その施設の管理者は、犯罪者と共犯であるとすら言えるのではないのか・・・怒りは、それほどまでに高揚する。

camera&monitor・・・このsetと、そして監視者・・・少なくとも、この3setが完備して「防犯camera」と云うべきで、ただ単に録画していること持って「防犯カメラ・監視カメラ」と云うのはおこがましい。更に、そのカメラでとらえた映像が、犯罪の予知に、抑止に繋がるsystemの構築が急がれる。当然、その為の「人件費」は必要になる。販売価格への上乗せも必要だろう・・・しかし、それは、「安全」というcatchphraseで、販売促進で貢献するはずである。勿論、理念的には、商売抜きで、systemが存在しなければならないものである。

そのcost抑える為に、「トイレ」の位置も工夫されるべきである。トイレは「不浄」の思想も払拭されるべきだろう。学校のトイレが、時に学生達の秘密の行為〜麻薬の受け渡し等〜に使われる。また、リンチの密室化することもある。トイレのドアーを外してしまえ・・・過激な発言だったが聞いたことがある。検証に値するかも知れない。

しかし、今回事故は、行き過ぎた「性善説」の執着する我々のethosに問題なしとしない。当面は、トイレの前に、付近に監視員を置く店が増えるだろうが、のど元過ぎれば・・・にならない意識が求められるだろう。

まずは、トイレの位置を変更しろ・・・そして、防犯SYSTEMの構築と、その運用を急げと、私は提案する。