孫文の指摘・・・・広軌鉄道への反省・・・・

孫文が、辛亥革命への日本の支援を諦めて中国に帰国するに際して行った横浜の演説会(だったと思う・・・その全文を掲載した文庫本をなくしているので、記憶にたどる)で、日本が、必ず「狭軌鉄道」を悔やむだろうと、指摘している。勿論、日本の満鉄は、広軌だったのだが・・・。

今年は、孫文の生誕百年だとか・・・・鹿児島から青森まで、広軌の新幹線が貫通した・・・不思議な一致である。文明とはこの様なものだろうか。孫文も、黄泉の国で、にんまりと笑っているのかも知れない。

Europeでは、在来線も、新しく開発される高速鉄道も「広軌」であり、軌道の幅は同じである。日本の場合は、在来鉄道が狭軌、そして高速鉄道の新幹線が「広軌」である。後発・経済発展国への売り込みが容易に成功しない。原因は、在来線との相互乗り入れに、彼らの方が一朝の長があるのだそうである。詳しい説明がないから分からないが、技術とは経験でもあるから、僅かな所で、日本の高速鉄道技術では不便があるのだろう。

また、systemとして見た場合、その運用に、日本の経験が生かされない嫌いがあるのかも知れない。しかし1964年以来、装置の故障で事故ったこともないし、長時間の運用の支障もない技術である。決して見劣りするものではなのだろうが、自慢しての意味のない技術もあるのかも知れない。いっそ、色々な軌道幅の鉄道が共存するインドに売り込んで、技術の素晴らしさを認めさせては如何・・・と思うが、如何。

また、日本では、高速鉄道・・・新幹線・・・と、在来線では「軌条;rail」の形状・sizeが全く違う。従って、車輪(tire)の設計技術も事なるのだろう。日本では、在来線の「広軌化」は、殆ど不可能だろうと、私は思う。何故なら、全国一斉にrailの交換を必要とするからである。

余談になるが、JR・福智山線の事故の時、私はrailを疑った。在来線とは言え、高速化(ダイア短縮、過密ダイア)への対応で、railへの影響は避け得ないだろうと思ったからである。しかし、railは全く話題にならなかった・・・・今も不思議に思う。安全基準を順守しない運転手に罰則として「草むしり」を課するより、railを疑う方が正常ではないかと、考えたからである。

イギリスでは、貴族の趣味で作られた小さな鉄道・・・恐らく軌道の幅はまちまちなのだろう・・・が人気である。日本も在来線を、ところどころで遮断しながら、広軌に変更することは可能であろう・・・必要があるか、否かは、また別のことであろうが・・・。