東北&太平洋大地震・・・・

先ほどのnewsで、海外からの援助隊が掛けつけてくださると伝えていた。時に断ることもあったと云う日本だが、今回は、そんなことはしないだろう。ただ、ロシアの救助隊はどうするのだろう。北方四島の被害状況は如何なものなのか・・・全くmediaが触れない。こんな時にこそ大きく報じて、固有の領土と言えるのではないか・・・識者の見解は如何?

今回の大地震・・・小泉八雲の「稲むらの火」を連想させる。大津波の直前の、大きな引き潮に気がついた庄屋が、収穫したばかりの「稲むら」に火を放って、村人を誘導し、その安全を図ると云うもの・・・・村民は、津波から逃れる為に、稲むらの燃える山の畑に駆け付けたのではない。その火を消すために掛けつけたのだが、自らの命を救うことになった。ざっと、こんなstoryだったと、思う。

今回は、直前の大きな引き潮が生じていたのだろうか・・・・地震のmechanismによってことなるのか知れないと思うが、各局のcasterに此処まで触れる余裕がない。

しかし、地震の直後に、海の様子を見に出かけて津波に呑みこまれた老人が二人いたとか・・・正気の沙汰とは思えないのだが、「無知」が、そんな無謀な行動を取らせるのだろう。

稲むらの火」から約150年・・・その知恵を生かせと云うのは酷だろう。諦めるしかないのだろうか・・・この地域の津波は、その海岸の構造から、時に20Mを超える可能性もあると云う。25Mの津波を想定した生活環境を整備できるか・・・到底無理だろう。ならば、「犠牲」を覚悟で生活しなければならない。後は、如何に早く逃れるか・・・あるいは、上陸した津波の勢いを如何に早く衰退させるか・・・知恵の限度でもあるだろうが・・・人間、「喉元過ぎれば熱さを忘れる・・・」。今回の、大量の犠牲が、そこに起因していないか・・・その検証はしっかりとしていくべきだろう。そして、教科書を通じて、世代を超えて、日本人の血の通った知恵としなければならない・・・と、私は思う。

妻が言う・・・これだけ外国の方が、掛けつけてくれる。何で戦争なんかするのだろう・・・・と。ごもっとも、私の答えは、「国民が興奮するからだ・・・・」。populismの政治への嫌悪があれば、可なりの程度、戦争を防ぐことが出来る。しかし、小さな恨みを、しかも根拠のない小さな「恨み」を膨らませて、嫌悪の感情を膨らます・・・そんな環境を自ら作って、戦争への道をつけてしまうのだ・・・・と。

災害炎上は、時に宗教の「氷」を溶かす役割を持つ。少し以前の四川の地震現場で、亡くなった人への、日本自衛隊の黙祷が高く評価されていたことがある。死者を悼むに、仏教もイスラムも、またユダヤキリスト教も関係ない。そのことを映像を通じて、一人一人が感情に納め、子供に伝える・・・その長い時間の中で、氷解するものだと云う信念を大事にしたいと思う。

大きな災害だった、犠牲者も膨大なものになった。しかし、我々が、そこに「平和」の契機を掴めば、それを伝承させることが出来れば、それは、死者からの貴重な、尊い贈りものになるはずである・・・大事にしたいと思う。尊い犠牲である!