分からない説明・・・・・

原発の事故の拡大への懸念の中で、newscaster、あるいはguestの発言の中に、官房長官、あるいは、学者、評論家の説明についてのクレームが多くなってきたいる。
ふざけるな!・・・と、言いたくなるのは、newscaster、announcer、そして評論家の、事故当事者の説明に対する不満である。つまり、「分からない説明・・・」と云う不満である。自らが、今日まで行ってきた説明ではなかったか・・・昨日まで、mediaが伝えて来たから、それが踏襲されているだけのことである。
言葉による説明で「漢字、熟語」で説明されたら分かり難いのは、貴乃花の「不惜身命」だけではない。8月15日の、天皇陛下のPotsdam宣言受諾の詔勅をどれほどの日本人に理解できたのか・・・今聞いても私には理解が不十分である。教育勅語を、高齢の今も復誦できると自慢する文学者がいるが・・・自慢にはなるまい。その文学者にしても、小学校の校庭で直立不動で聴かされていた頃は、皆目理解できなかったのであろうから・・・。漢字、あるいは漢字の熟語が、日本語の文章をあでやかにし、あるいは威厳を与えることは、私も保証する。しかし、だからと言って、伝わることが絶対の条件である「言葉」に、漢字で表現しないと理解出来ない熟語や言葉を多用するのは、一日も早く改めるべきである。

横道にそれるが・・・・外国人看護師、介護士が、日本の国家試験に合格するための苦労は辛酸である・・・この「辛酸」ですら、話言葉の中で使うべきではないだろう・・・・ひらがなで分かる表現・・・これが、これからの日本語に求められる「言葉」であると、我々は覚悟すべきである。

先輩のHPに、全文をほぼひらがなで書きこんだ。書きこんだ私が大変に読みづらいものになった・・・ひらがなだけで良いと云うものではないことに気がついた・・・が、方向としては、話し言葉の「ひらがな化」への移行を意識すべきなのだと思う。

書き言葉の文章に重みを付ける為に・・・内容がないから・・・漢字、熟語を多用する。それは、好みとして認めても良い。しかし、理解されない時は、己の責任として受け止めるべきだろう・・・・また、その事で、読者に不利益を与え、損害を与えた時は、その負担は折半になるべきだろう。

17〜18世紀の、大学での哲学者・文学者の著書には、弟子たち、講義の受講者たちの「筆録」を編集したものが多いと聞く・・・勿論Europeの話である。何故、それが可能か・・・・書き言葉と話言葉の乖離が少ないからだと云う。議会であれ、公開の講演会であれ、日本人の話は、それを速記記録しただけでは文章にならない事が多いのだと聞く。だから、速記をきにすれば、原稿の棒読みにならざるを得ない・・・ある教授がぼやいていた・・・分かりやす「かたかな」で喋ると、講義が安っぽくなる。論理の重さが伝わらない・・・・結局・馬耳東風と聞き流されることも懸念される・・・日本語とは、そんな難しさを秘めた言葉なのである。

朝鮮王朝四代目の「世宗」がハングルを考え、原形をつくった・・・発声・発音の口の形までもを考慮したハングル(記号)である。その苦労は、「かな、カタカナ」を凌ぐものだと思うのだが、結局、近代になるまで、余り使われた形跡はない。特に公文書では使われていなかったのではないだろうか・・・その辺りの事情には暗いのだが・・・。

しかし、私は、ITに時代になって、その効果は果てしなく大きかったのではないかと想像する。中国語、ハングルのワープロへのinstallが如何なものになるか、日本語の様に、フォントと辞書の連結が旨く行くのか・・・興味があったのだが、有名S/WのSEからは、貴方が心配しないでも良い・・・と、一蹴された。中国語は「ピンイン」を使っているのだろうか・・・・いずれにしても、日本語ワープロの「変換技術」が大きく貢献したことは疑えないだろう。

私達の祖先は、何故に「ひらがな」「カタカナ」を考案したのか、それを普及させたのか・・・今一度考え直してみる必要がある。こけおどしの難解な漢文調・文章・・・それを「話し言葉」にまで拡張する利用実態・・・早急には難しいが、聞く側の、分からないことは分からないと云う正常な意識をもってしか変えることは難しいだろう。

「隗より始めよ!」・・・・このブログも、平易な文章で、己が主張を伝える・・・努力をしよう!