ケイタイの脆さ・・・・

「ケイタイを持った猿」と、ケイタイがなければ、夜も昼も明けない人々・・・特に若者・・・を揶揄した学者がいたが、今回の東北・太平洋地震では、この油断(好意的に)が、ケイタイの限界を知らしめることになった。

かつて、文革直後の、中国人研修生が、日本を離れる時の土産が、電卓(当時は電池式)であったり、小型のラジカセであったりしたのだが、中国製電池では、旨く作動しなかったり、直ぐに寿命が尽きたり・・・帰国して半年もすると、無用の長物となっていた。「もう電卓も、ラジカセも要りません・・・」と、日本側を戸惑わせることもしばしばだった。私は、彼等の使っている、中国製・英中辞典を見て、「英和コンサイス」ではダメかと質問・・・彼等は、欲しいのは、英中よりも、英和の方が欲しい・・・と、言う事だった・・・昭和50年頃のことである。早速、通訳を含む5人のmemberへのお土産を「英和コンサイス」にして、喜ばれた。他の、若い通訳に、君にも、お土産にしようか・・・と持ちかけたが、彼の返答は・・・「辞書は、中国にも立派なものがあります・・・」と、何とも愛国心溢れる返事・・・使っている英和辞典は、雑誌の付録以下のものだったのだが・・・・それでも任務を立派に果たしていたのだから・・・私がcommentする事ではなかった。

私は、デジカメを持ち在る時も、予備の電池を必ず持参する。それは、engineering・managementを担当していて、出張中の地で、いつ何時呼び出しを受けるか、あるいは、どんな理由で、数日間、其処に、あるいは工事現場に閉じ込められるかもしないからである。他人の灯りで、行動する程、危険なことはないし、不便なこともない。灯りは、必ず自分の手にあって、自分で、自分の足元を照らして、灯りになるのであり、相棒の行動が確認できるものであるからだ・・・現在、電池の存在しない地域で活動する予定も必要もないが、とんでもない田舎にでも長期滞在する時は、恐らく電池を持参するだろう。

すべからく、持ち物は、そのhardの限界を認識すべきあり、補助的な準備を欠かしてはならない・・・若い頃に、低い山であっても、必ず肝に銘じていた事である。私の計画を知って、参加を希望するmemberは、殆ど、街中で行動する感覚である。予備の食料になるお菓子等も自分の好みで、殆ど自分の分しか持参しない。途中の事情で、一拍を山小屋、時には野宿・・・となると、殆どオアニック・・・自分で道を探すと・・・memberを外れて、とんでもない目にあうこともあった。次からは、memberに加えないのだが・・・。

予備とは、全てのものに必要である・・・・つまり重複して準備すると云う事。それが重荷になるときは、代替を考える必要がある。筆記用具や、手帳・メモ等が、度々困惑の原因になる。10歳程先輩は、褌に木の汁を使った・・・等と聞いたこともある。私が山歩きをしているころは、ラジオの電池だったが、調子に乗って、音楽を楽しんでいたりすると、必要な時・・・天気予報を確認した時などに、電池切れになったいたりする。こっそりと準備するのも、leaderの才覚だった。

幼い子供に「防災頭巾・・・私世代は防空頭巾」を着用させている家族をTVに拝見した。この様な家族なら、準備におさおさ怠りはないのだろうが、電池の使えいないケイタイでは、無用の長物化に、人間の知恵の介入を許さない難物である。ケイタイ各社の、今後の課題だろう。

震災後の、国家行政、地方行政、警察、自衛隊への評論家の無責任なcommentが続く。しかし、人間は体験して利口になるのである。現在の原発の現状も、40年間、殆ど無事故で経過した事への報いでもある。担当者にしてきれば・・・「よもや電源が・・・」の思いであろうが、やはり電源が破戒されることもある・・・今回の貴重な経験である。原発を持つ各国の体験にも成ったろう。「他人の振り観て、我が振り直せ」の例えである。

原爆を体験して、今日までの核戦争への抑止に大きな貢献をしている我が国である。今回は、原発の弱点をさらけ出して、世界中の原発の警告を発した・・・・」。恐らく、21世紀初頭の大きな貢献になるだろう。私は確信する。