日本の救世主となれ・・・・!

今から原発の火災現場に行く・・・という、東京消防庁・指令が妻に送信したメール・・・その返事は・・・
「日本の救世主となってください!」だった。

戦後のどこでも聞かなかった「勇ましい」言葉である。あるいは、戦後の「禁句」になっていたかも知れない・・・等とも思ってしまう。戦後生れの人々には無用の言葉だったかもしれないし、あるいは「死語」だったのかも知れない。

志方俊之氏・・・・自衛隊員に、原発の火災現場に「志願せよ・・・消火作業」と募れば、200人、300人は何時でも志願者は現れる・・・と、語っていた。今は、憲法の規定〜自衛隊法か?〜で、その様な命令を指揮官が出すことは禁じられているから不可能なだけだ・・・と、語っていたことを思い出す。

今回の大災害で我々が拾った貴重なものは、警察、自衛隊、消防隊・・・・彼等の献身的な、勇敢な貢献の姿だった。昨日、9日ぶりに救助された16歳の少年も、救助した若い警察官に、「僕も警察になりたい・・・」と語ったと云う。我々高齢者は、自らの歴史の中に知る、日本の「血」を忘れていたのかも知れない。

取材の記者や評論家の言動が、今回災害程に「卑しい」ものに見えることも、これまではなかったことであろう・・・と、私は感じている。関係者の説明が分かり難い・・・・専門家の言葉が、説明が、そのまま分かるはずがないと考えるのは妥当なのである。mediaは、それを噛み砕いて読者に視聴者に伝えるのが、その役割なのである・・・つまり、説明出来るように日頃から研賛し、学んで措かねばならないのである。災害現場で、必要以上に説明者に迫るのが、彼等の役割ではない・・・・その限りで、mediaの堕落を私は感じる。

思い出すのは、戦中の「転進」と云う軍事用語である。もし、mediaが、これは「敗走」であると報じていたら・・・あの戦争も随分と違った終わり方をしたのではないだろうか・・・大本営発表を一時一句をそのままに伝えたが故に、国民の多くが、建前であれ「勝利」を信じた・・・それ故に、最大の悲惨な状況になっても、終戦とする為には、阿南陸軍大臣切腹が必要になったのである。そして、満蒙の開拓民の惨事があり、シベリアに日本兵を抑留させなければならなかった・・・関東軍朝鮮半島の2ケ師団を無傷で帰国させたら、必ずやCoup d’étatとなっていたであろう・・・言葉の恐ろしさを、mediaや評論家と称する識者は、日頃の半生をしていないことになる。悲しい事である。

危機が訪れた時・・・救世主が求めら得る。合理的に、設計的に「事故」が解決出来ると云うのは「絵空事」である。製造現場でも、事故の現場に駆け付けた管理者が・・・「何故こんなことになった!」と部下を叱れば、部下の心は、管理者を離れる・・・調子の良い報告だけが管理者になされ、事故を繰り返すことになる。

今回も、結果的に、強力な消防車に依る、命中率の高い放水が功を奏した・・・しかし、これも、ヘリによる放水、あるいは、一般の消防車による放水から得られた「方法」なのである。恐らく、今回事故から学ぶものは多大なものがあるだろう。このまま、悲惨な被害者を出さずに〜津波の被害者に留めて〜原発火災と、放射能悲惨を喰いとめれば、日本は世界に偉大な貢献をしたことになる。巨大津浪に対応出来なかった構造的・強度的な問題は、hardの問題である。しかし、如何なる方法を選択するか、考案するかは、至ってsoft的な門だであり、普遍的な人類の知恵となる。

日本の救世主となれ・・・とは、今後の地球人類の救世主となる要因さえ含んだものであると言えるだろう・・・私は思う。また、原発の構造、あるいは、layoutに・・・大きな研究themeを、その解決の方法と共に世界に提供できた・・・色々な分析がなされ、色々な問題が提唱され、方法論が検討されるだろう・・・それでも尚、事故が皆無になることはないだろう。しかし、どんな方法で、何処までで喰いとめられる・・・ここを突破されれば、次はここで喰いとめる・・・人類の知恵が果たしなく広がる・・・まさに、今回。消火に当たった方々は、人類に大きな貢献をしたのだと思う。

そして、日本人として、「救世主となれ・・・」と、夫を励ます妻がいた事・・・日本人の素晴らしさ・・・を世界に見せつけたことになる。中国では、地震の時に、教室の子供より先に教室を飛び出した教師がいたと・・・日本人の教師の対応と、メールに比較されているそうである・・・どちらの様子も、日常なのである。この、中国と日本人の「通常」に違い・・・私達も誇っていいのだろうし、誇り得る日本人足る日々でなければならないだろう。

「日本の救世主たれ・・・・」。今年の流行語大賞として推奨して置きたい・・・・