防災訓練とは何か・・・・?

外国の称賛を浴びる、被災者の方々・・・・我々は、ここから沢山の事を学ぶのだろう・・・・恐らく、その予感は正しいと、私は信じる。GDPの大きさが文明国の経済大国の証明にはならない。・・・・世界が、改めて認識したことだろう。原発も、紆余曲折はあるだろうが、必ずや、世界に冠たる成果を見せながら、未来永劫の保証は叶わないまでも、一先ずの希望を世界に与えてかんけつするのだと、私は信じる。

しかし・・・・

①行方不明の皆さんの捜索の困難さ、生死の確認、本人確認の難しさ・・・これはニュージランドで未だ二名の確認が出来ない・・・実態がある。国民総背番号制があり、身分証目の常時携帯が義務付けられていたら、これほどまでの困難はなかったのではないか。もう随分と昔になったが、あの当時に発足していたら・・・と、悔やまれる。当時の社会党の犯罪とも言える政治姿勢を、私は今日においても問いたいと思う。

②引き潮も確認出来た。地震から大津波まで、30分の余裕があった所もある。また、一波で安心して、自宅に戻った人がいて、一波で破損した家の修復の機材を求めて、老父を遺して外出したために、あたら老父に失った悔いを残す人もいた。また、郵便貯金通帳を取りに戻って波に呑まれた人もいる。クルマで避難しようとして一家全滅したらしい家族もいる。つまりは、津波に対する認識の甘さであり、対処の誤りである。つまり、地震津波・・・についての知識の不足であり、何処かで「狼少年」になっている己に気がつかなかった悔しさである。

③これほどの惨状を誰が予想しただろうか・・・・津波の認識がほとんどなかった・・・9世紀の伝承、明治の体験・・・そこから、この惨状が認識されていなかった。個々人の記憶に留めることの虚しさである。地域の人々に共通の津波の怖さの認識があったら、この場所に家を建ててすんだだろうか・・・悔やまれるところであろう。「もう、此処には済みたくない・・・」痛いほどに理解出来る悔しさではある。この地に、土地を売った不動産業者は住んでいたのだろうか・・・・かつて、筑豊の炭住、あるいはその周辺は、土地が陥没した。そこは、貧しい坑夫の居住区であり、不動産屋が住む場所ではなかった。炭鉱がすたれた時、周辺の陥没(落)池を埋め立て、周辺の丘を削って広大な団地が出現した。時に、陥没の被害を聞いたが・・・しかし、大工事の成果として、その後の陥没を聞かない・・・・知識が、その知識をいかせれば、悲惨は避けられるのだろう。余りにも、現在の生活が日常化してしまうと、その土地の日常性と異なる事象には対応不可能になる。

④避難・・・ガソリンがない。灯油がない。経由がない。助かった命を、それを守るべきinfrastructureが全く存在していないことに気がつく。電力首足は「原発」の被災だが、全くの晴天の霹靂と言えるだろうか・・・・国家の栄養とも言うべき産業が死んでしまう現状である。電力の「ヘルツ」が東西で異なる為に生じた「人為的な災害」である。現在の所、この事が議論になる空気にはないが、何れ、大きな問題として浮上するだろう。EUの苦労を他人事として眺めていた結果なのである。原発の復旧はないだろう。と、すれば、計画停電は続くだろう・・・何時まで続くのか、未来永劫続くのか・・・予備の発電所の整備と・・・二者択一になるのかも知れないが・・・infrastructure中のinfrastructureの問題でもあるだろう。

⑤良くなりつつあるが、食糧、水、医薬品、医療品、衣料、ガソリン、灯油、経由・・・息の勝った貴重な命の保護の為に欠かせないinfrastructureの不足である。つまりは、非常時のLogisticの事である。表の道・経路が潰れたら、裏通りを生かす知恵なのである。地上がダメなら海がある、空がある・・・という発想である。そして、デポの配置、そして、最適の運送手段。日頃の怠慢〜私達にはそう見える〜にも関わらず、対応は早かった・・・私は評価すべきだと思うが、被災者を安心させるものであって欲しかった。つまり、「この様なinfrastructureで、日々は保障されます」との一言の事である。


⑥これに類して、高齢者、病人への対応も、二の矢、三の矢が、infrastructureとして明確に成っていたら、20名程の死者も出さずに済んだのかも知れない。これが、若い方、幼児などだったら、mediaも騒いだだろうが、高齢者故に、そんp不手際を責める論説は少ない・・・しかし、今後のinfrastructure検討の俎上に乗せるべき問題であろう。

原発・・・これは、一つの運命共同の問題として、国民も住民も、受けとめるべき・・・つまり、「我慢」の問題であると、私は思う。つまり、「絶対に安全」と云う設備は存在しない。しかし、一つを学んで、一つ、二つ安全になることは信じて良い。国民、市民に、その認識があれば・・・・既存の原発には、津波対策、地震対策が施されるだろう。ありは、電力のcost原隊はupするだろう。それはまた、世界の各地の原発とて同様である。今回の、日本の経験が、世界の原発の安全性を大きく前進させると、私は信じたい一人である。


最後に、防災の日の訓練風景・・・私の目には、「バケツリレー」の域を出ないものに映る。各種infrastructureが全部一度に揃うことは不可能だが、これらの存在を前提にしたsimulationは可能なはずである。そして、そのsimulationで得られた知見でもって、real・infrastructureが構築されれば、次の津波の被害を最小限に食い止めることが可能になり、また、大きなことを学ぶだろう。

論理とは、logicとは・・・学ぶ為の準備でもある。自然にあるがままに・・・それは「仙人」には許されても、生身の市民・国民には許されない思惟であり、思想である。

関係者の努力、判断、行動に、一矢の批判をも加えるものではない。分かり難い専門家の言葉に解説は求めない・・・学ぶtoolは幾らでもあるのだから・・・分からないのは己の落ち度と、私は覚悟する。
「日本の救世主となれ・・・」・・・我々も、日々学びながら、救世主となるべく努力を求められているのである。日々、これ覚悟を新たに明日を生きよう・・・!