財産権が復興の邪魔をする・・・・

津波に流されるクルマ、家屋・・・当然、その中には電化製品が溢れている・・・・病院などの施設は、高価な医療機器が流されたのだろう。

惨憺たる光景の中で、復興への努力が始まったが・・・これらを「ゴミ」と呼ぶのが適当か、否か・・・心が痛む。しかし、「ゴミ」としか言いようがないので、ここでは一先ず許して頂くことにする。もし、後日に、相応しい、あるいは、元の持ち主の尊厳を傷つけない呼び方を見付けたら、その時に訂正させていただくことにする。

「法と国家に属していて、我々は自由なのである」・・・ヘーゲルだったと思うが、この「ゴミ」の山の処分に、「法」の壁が立ちはだかると聞けば、「法」とは厄介なものだ・・・」と、思わざるを得ない。つまり、「法」を施行する為の「法」の制定が必要になるのだと云う。

一先ず、個人的・趣味に類する執着は無視するとしても、クルマ、高価な電気製品、あるいは、高価な着物や貴金属類は、やはり、その執着には「命」に代えても・・・という感慨・感覚があるだろう。アルバムも、濡れて、汚れていても、喜ばれる。一枚の写真が、生きた証になる。大事な人と過ごした時間を思い出す縁になる。「ゴミ」化しているから、集めて償却する・・・そんな単純な事では処理できないだろう。心中は、一つ一つ・・・吟味をした上で、捨てざるを得ないものを手放す・・・それでも、涙なしには為し得ないものであろうと、察する。

しかし、大型ごみ、ごみ化したクルマ、家屋・・・・財産権に固執していたら、復興の日も遠のく。惨状を眺める日々が続くだけである。恐らく、財産権放棄に関して、如何なる「法」を制定しても、誰も満足しないだろう。また、その「法」故に、後々の不利益が増大することを心配する向きもあるだろう。少なくとも、現在は「臨時処置法」の位置づけでスタートし、何れかの時点で、慎重審議を行うことを約束したものであるべきだろう。

また、原発放射能)避難で、しばらくは元の住居に戻れない人も多数発生しそう・・・この方々の財産権・・・あるいは、手放す時の条件・・・・復興の為に、新たな街作りのために手放していただく条件・・・財産権に関わる問題は、相当に複雑なものになりそう・・・出来るだけ「欲」を抑えた「叡智」で解決の努力であって欲しい・・・私の願いである。