愛犬の救った「命」とは・・・・

その日、老婆は何時もの通り海岸の散歩に出かけた。徒然に地面が揺れた・・・地震である・・・しばらく立ち止まり、揺れが収まったので、散歩を続けようとしたら、愛犬が、何時ものコースとは逆の方向に老婆の紐を引っ張った。そして、老婆は、愛犬に素直に従い、高台に向かい、長い階段を上って一命を助かった。後ろ脚は、既に寄せる津波を感じていたと云う。

沈みかけた舟からは、まず「鼠」が逃げ出すと云う。鼠が船内に留まっている中は、舟はまだ、回復の可能性があるのだが、彼らが先を争って海に飛び込む時、舟は沈没の運命にあるのだと・・・・鳥が騒ぐ、急に舞い上がる・・・また、家の鼠が大騒ぎをする・・・「鯰が暴れる・・・」に連なる、この列島に住みついた人々の知恵の伝承だったのであろう。子どもの頃に、「蛇」を殺すと古老に叱られたものである。勿論、その殺し方が残忍であることもあるのだが・・・やはり、異変を知らせる小動物でもあったのだと、耳朶に残る声を聞く思いがする。

コンクリートのカーテン基礎の床下に小動物の潜む余地はない。また、家の中に、食べ物の「零し」がない家に「鼠」も住みつけない。団地が広がり、辛うじて、公園の一隅に生きているのだろうか。人間と大きな距離を保って、ぎりぎり生命を維持し、子孫を残しているのだろうか・・・・地域に依っては、この列島が大陸から分離した時に、この列島に取り残された「鼠」が、まだ存在しているというのだが・・・ネズミもゴキブリも、すっかり縁遠い生き物になった。

老婆を救った愛犬のことをTVに知った時・・・かつては小動物が人間を救っていたのではないかと、思い至った。我々は、小動物を身の周りから追放して、何かしら文化人になった心算であろうが、実は、身を日々危険に近づけていたのではないかと・・・。

あの津波の押し寄せた家々に、沢山の「鼠」が居たら、彼等は、群れをなして高台への道を、群れをなして走ったのではないだろうか。それを目にした人間が、無関心だったろうか・・・私達は、自ら、わが身を危険に追いこみながら、今日文明の中に生きている・・・せめてその覚悟が欲しいと思う。

壊れた家の中で、じっと孤独に耐えながら主人をまった「猫」・・・これも、御主人に、「もう安全ですよ・・・」と語りかけているのかも知れない。千葉県の大原を訪ねたことがある。椿の大木も、椿のトンネルも、花はなくても珍しいものだったが、海岸を歩いた時に「猫」の多いのに驚いた。もし、あの津波が此処を襲ったら、あの猫達が漁師たちに危険をしらせたのだろうか・・・そんな想像もする。

ペット・・・私もペットを可愛がる人間ではないのだが、小動物への眼差しを大事にしようとは思う。一つの学びではある。