堺屋太一・・・・久しぶりの弁舌に考える。

日本は、三つの敗戦を経験している・・・・・と。
一つが、幕府が倒れた敗戦。
二つが、太平洋戦争の敗戦。
三つ目が・・・今回の地震と大津波への敗戦。

この三つの敗戦の共通点は、その復興が、前に・元に戻らなかったことである・・・・この方らしい分析である。目から鱗が落ちる解説は、余人をもってはあり得ないものだろう。菅総理も、そのcomment、演説の中で、これくらいのことを言えば、人気も上がるだろうと思った。他の政治家も含めて、この様なbrainを大切にしないから、政治に「夢」が感じられないのである・・・と、私は思う。

しかし、私は、前二つの敗戦からの立ち直りに際して、夫々、一つの間違いをしていて、それが、その敗戦からの立ち直りに「瑕疵」を遺したのではないだろうか・・・・・と、思うのだが・・・。

「幕府が倒れた敗戦」には、勝海舟が、しつこく、アジアには手を出すなと言い続けたにも関わらず、韓国に干渉し、ロシアの南下政策に怯え・・・・日清戦争を惹起した。そして、弱り切った戦争に勝利したことが、そして、高額な「賠償金」を得たことが、次の日露戦争を惹起し、太平洋戦争への道を作ってしまった・・・と、言えるのではないか。勿論、政党政治がきちんと機能すれば、あるいは、Americaとの関係をこじらせることはなかったと思うが、特に日露戦役の無理が、Americaへの無理な移民・移住を促進し、日本移民排斥のmoodを作ってしまった。Roosevelt大統領を感激させた「武士道」も、徹底的に地に落ち、その後の展開は、「憎悪」すら生んだのである。

特に、未熟な歴史観は、アメリカとイギリスを、その歴史性を配慮して観察することを怠り、東洋のイギリス・インドへの恐怖をイギリスにもたらし、Americaの反日の根拠ともなった。
勝海舟が言うが如く・・・じっと世界を観察し、そして、己が実力を知り、その上での外交を展開しておれば、日露の小競り合いは避けられなかったにしても、後の太平洋戦争に繋がる様な外交の展開はなかったのではないか・・・・その判断の誤りの代償は大きい。北方四島、原爆、そして竹島尖閣列島・・・・その根幹は、全て此処に在る。バルチック艦隊への勝利が招いた外交の失敗・・・それは、国民を必要以上に喜ばせたことにある・・・幕藩に戻ることはなかった、この敗戦。しかし、幕藩の持っていた大切な知恵も失ったことを忘れてはならないと、私は考える。

二つ目の敗戦・・・・これで、日本は、近代化を果たしたと云うべきだろう。明治元勲の遺した、似非近代、似非民主主義・・・を完全に破戒し、日本人が、教科書的にではあっても、近代民主主義を経験する端緒にはなった。そして、色々批判はあってもGHQの指導のもとに、その民主主義化、政治の近代化を大きく育てることができた。しかし、残念なことに、吉田茂の後に、有能なる政治家の誕生がなく、政治の権謀実数の隘路を深くし、その底に呻吟する現在を生ましめているのである。

堺屋の云う、三つ目の災害への対応の稚拙さを我々が感じるのも、我々が、本来的な国家の形を知らずして、場当たり的な批判のみを、政治参加だと考えているからであろう。政治家も、その国民の稚拙な政治判断が使用できずに、政治の大同団結に二の足を踏み、己の出処進退を決めかねている。引くべきが引き、出すべきを出せば・・・・民主党自民党の大連立は、それほど困難なものではない。民主党の、一部の元・社会党系の議員がそれほど力を有しているものでもない。その証拠が、地方選挙での相乗り選挙の様子に明らかである。姑息な政治家が、大所高所からの視界を有する政治家の足を引っ張っているのである。



関東大震災の復興院の総裁に「後藤新平」ほどの人財が、今日の日本に存在するか・・・意見の分かれる所ではあるだろうが、当時の様な手法が不可能な今日、同じ資質を総裁に求めることが、間違いである。虚心坦懐に、まず大連立をし、その中で「人材」を求め、そして、関東大震災の復興に為し得なかった人智の活用の体制を急ぐべきである。関東大震災当時には得られなかった人材が、多士済々存在する今日である。色々なknow-howを外国の震災にも学んでいる筈である。政権抗争、政治抗争に封をすることができれば、この地に「王道楽土」を建設するに、さしたる困難はないのではないか・・・・私は期待したい。