釜石・・・頑張れ!・・・釜石よ!・・・永遠に・・・・!

釜石製鉄所・・・まだ健在だったのだ・・・と、昨日の新聞に驚き、嬉しくなった。八幡に入社、八幡に育ち、八幡に終わった私だが、室蘭、大分、名古屋、光・・・そして本社・・・には出張で訪れる機会が何度かあったが、釜石には、訪れる機会に恵まれなかった。「駅前・製鉄所」・・・懐かしく語る人は周りにも沢山いたのだが・・・今に思えば残念である。

しかし、3年7カ月の、富津市の単身赴任の間には、1年遅れで、室蘭、釜石からの単身赴任者も多く入寮したので、少なからず知故になった。もう16年の昔になる。もう、お顔も、お名前も思い出せない。しかし、年齢から・・・私とほぼ同世代だから、既に現職は引退されているだろう。それだけに、津波の被害に遭っているのではないかと心配である。もし、被災・遭難されていたら、哀悼を捧げたいと思う。

まだ、合併の気分が抜け切れていなくて、お互いに、「冨士系」、「八幡系」を意識しながらの、寮生活だった。200人超の寮生の中に、何組か、寮で知り合い、趣味を通じて親しくなり、相部屋をシェア―している方も、いるにはいたが・・・・。傾向としては、八幡系は個人主義的・・・groupで行動するよしも、独行的な傾向が強かった。冨士系・・・室蘭、釜石、広畑・・・の方は、人間的な繋がり・・・絆・・・が強く、group的行動が目立った。寮の食堂で、何時も一人で飯を食っているのは、私の様な「八幡組」が多かったと回想する。だから、何かの行き違いで仲間から外れると可哀そうだった・・・どのgroupにも入れず、元のgroupにも戻れず・・・「うつ」になる方が多かったと、私は観察していた。私などは、土日は殆ど日帰りの旅を楽しんでいたが、一度として、仲間と一緒に行動することはなかった。年に一度の海水浴も、派遣社員との交流だった。

寮に出入りの業者も、八幡系は、気持ちが軽いですね・・・等と評していたが、他面では、「冷たい人間関係・・・」と言っている様なものだった。人事の担当者は、地域的な「絆」の強さが絡んでいるのだろう・・・と、そんな観察をしていた。寮で仲間から外れることが、故郷の家族の立場を悪くするかも知れない・・・そんな心配だったのだろうか・・・


その、強い「絆」が切れると云う事・・・その強さを目の前に、半ば羨望で見ていただけに、私の心は痛む。長い冬を越すethosには、九州人には見えない「人格」があるはずだからである。


今、被災地の復興を目指して、東京の官邸と、被災地・現地の知事さんとの軋轢が報じられる。「菅さん・・・そんなことを言っちゃだめですよ・・・」と、傍で助言したくなるのも、多少なりとも、北国の方々の体臭が分かるからである。


釜石は、日本の製鉄産業の「聖地」である。高炉の火は消えたが、製鉄産業の日は消してはならない。頑張って欲しい・・・と思う・願う所以である。幾多の「死」を乗り越えて、その「死者」の霊を慰める為にも頑張って欲しい・・・

釜石よ・・・永遠に・・・と、願ってやまない。