事故の本質とは・・・

福島原発の事故・・・「原子炉はきちんと止まったではないか・・・」との気分が、東電の技術者の脳裏にのこっていないか。つまり、冷却装置が、地震津波で破損しただけ・・・あたかも、原発本体の事故の様に騒ぐのは、お門違いではないかと・・・・一般の機械設備で言えば、本体は故障していないのに、給油装置が、何らかの理由で機能しなかった・・・それだけの事だ・・・と、これは、一般にあることである。

TVの画面に見る、原発・諸設備の全貌・・・我々は全体を「原発」と云うが、技術者の脳の中は、そうではあるまい。つまり、原発が壊れたのでも、事故を起こしたのでもない・・・にも関わらず、全国の原発の全てが「悪」の如く云われる・・・我慢がならないだろうと、技術者の一人として、分からない心情でもない。

況や、今後の原発への嫌悪感。健全に動いている原発への嫌悪感・・・許せない感情なのだろうな・・・察して余りある。

しかし、「安全」という方向から考えるならば、「冷却」も含めて「原発」でなければならなかった・・・
此処は、気を取り直して、今後に万全を期して欲しいものである。

被災者が、「権力」になっていることには、私も違和感を抱く。しかし、これは、我が国の大衆のethosである。相手に非があれば、容赦しない・・・貧しき者の強さといっても過言ではないだろう。福島に、原発は当面、新たには生まれないだろう・・・しかし、ここ数年間で500万人の人口流出が懸念されている地域である。その負担に耐えられるか・・・「権力」とは、他を排する為に使われるのではなく、何かを得る為に使われた時に、良き結果を生むものではないのか・・・少なくとも、冷却装置さえ正常に作動すれば、何の問題もなかった原発である。一度、冷静になって、その将来像を、原発も含めて考えるべきではないか・・・。

福岡に住む私には、良き教訓にはなった。放射能が、風に乗って飛んできた時・・・どうする。私は、即死ほどでなければ、黙って、日常を続けるだけだと覚悟している。勿論、避難してくれと云われれば避難する・・・ことさらに、声を荒げる必要はあるまい。野菜に多少の灰が被っても、水で洗って食べる心算・・・イチゴは、季節でもないのに、危険を犯す必要もあるまい。そもそも、電気でイチゴを育てたり、花を育てたりするから、原発も必要になるのである。今は、東電の問題だが、東北電力も同じ穴の狢なのである。東電を責めている心算が、東北電力を責めていることにならないか・・・冷静さも、そろそろ要請される頃だろう。

「避難所生活の苦しさも分からないくせに・・・・」。そうではある。しかし、問題を仕分けせずに、被災者・権力を振りかざして、良い結果を生むのだろうか・・・・。

東電も、政府も、そして野党も・・・今回事故を、真摯に受け止めているか、否か・・・甚だ怪しい。「頭をなでなで・・・」との、感覚で、被災者の姿を見、声を聞いているとしたら・・・被災者の苦労は、軽減されることはないのではないか。volunteer頼りの、被災地の環境改善・・・その進展が、私たちも見えない。被災者の皆さんの声が、余りにも感情的になると、その言葉の乱れから、聞き取りが困難になるのではないかと、危惧する。寧ろ、mediaへの監視を強める必要があるだろう。伝えるべきことを、伝えるべき内容で伝えているのか・・・被災者の困窮、要求が、きちんとmediaの電波や紙面に載っているのか・・・芸人中心の民放TV局の誇張が、被災者の声を誇張する余り、聞こえにくくしていないか・・・被災者自身・・・それでよいのか?・と、検証すべきではないか・・・。視聴率の犠牲にならない為の用心を・・・と、老婆心で申し上げたい・・・お節介かも知れないが・・・。