介護保険・40歳未満に適用・・・情けは人の為為らず !!!!!

「年金証書」・・・リタイアした時、妻が、保管してくれていたので大禍にならなかったが、私は、その存在すら関心がなかった。年金を払っていることは知っていたが、それが、私の、以後の人生にどれほ役に立つかにも関心はなかった。そして、色々と説明をされて、リタイア後は働く必要はないと判断した。年金が沢山あったからではない。同期の中では、最も出世しなかった私である。もう、組織の中で働くのは嫌だった。その代わり、酒も煙草も、勿論パチンコも、海外旅行はおろか国内旅行もしない・・・そして外食も原則的にはしないと決めた。小さな書斎に、2万円のお小遣い・・・本題と毎月の病院代を頂くことで家族を説き伏せた・・・15年を経過する。継続は力なり。途中で、41年間・・・転職の機会は何度かあった。勿論、「派遣」の道を選ぶことも出来た・・・しかし、その何れかを選んでいたら、年金掛け金が継続出来たか、否か・・・それは怪しい。「辛抱は金なり」である。41年を働いて、年金を何年頂くのか・・・現在16年目である。
引揚後に、公務員に再就職した(35歳)・・・当時は、公務員は希望者が少なく、不足していた・・・ちちは、98歳まで生きたから、25年間年金を払って、38年間受給した。まさに、継続は力であった。私が、鉄鋼企業に就職した時の身上調査の用紙に書き込んだ「父の給料」を見て、現場の人事担当が言ったものである・・・「これで、家族五人が食っていけるのか・・・」と。勿論、公務員の傍ら、多少の「ヤミ商売紛いの収入」は含まれていなかったが・・・。
看守は、その資格を上げることで、地位を上げる。小学校卒の父が、看守長・・・法務府事務官・・・になるまで何年を洋したのだろう・・・7,8年だったか・・・毎晩、子供の枕元で勉強する父の姿があった。収入を上げる唯一の手段だったのか・・・作家・五木寛之が語る、彼の父の姿に重なるものでもある。平常で終戦を迎えた、彼の父親の場合は、「無残」な結果になるのだが・・・余談になった。
晩年10年位は、介護保険を負担しながら、介護保険のお世話になった。助かったのは、介護をする私達夫婦だった。妻の培った人脈で、父と母には、快適な病院で最期を迎えさせることができた事が、私の、唯一の親孝行だった。
介護保険発足の前夜・・・地域の区長をしていたこともあって、セミナー、フォーラムは頻繁に出かけた。気になったのは、識者の多くが、あるいは壇上のゲストの多くが、いや殆どが「在宅介護」を推奨していたことである。私は、父と母の介護が目前だったが、介護が、長男夫妻の責務であり、介護される親の方は、遠く離れて住む、娘や弟に金品を送ったり、たまに訪れた時には、有頂天に喜ぶ様を目にしながら、他人さまが育てた、我妻に介護を負担させることが、私の心の負担でもあった。特に、姑は、元気な盛りに、可なりな「嫁いびり」をしているのである。私は、死ぬ順序が、母→父であって欲しいと願い、願いが叶ってほっとした。セミナー、フォーラムの識者や、ゲストには、分からない、高齢者の実態なのだろうと・・・似た様な噂を耳にする度に、今も心が痛む。少子化で、高齢者予備軍も学ぶであろうし、介護が、早くから見ている若い世代も、早期に覚悟し、施設への入居の準備をするだろうから、原則・在宅介護の理念も消滅していくだろう・・・と、考えている。

今般政府が、介護保険料を、40歳未満の成人からも徴収する法制化を急いでいるらしい記事が、新聞に掲載されていた。私は大賛成である。現在の様に、高齢に近くなってからの「介護保険料」の徴収では、若い層が、介護保険制度に関心を持つ時期が遅れてしまい、建設的な政策提案が不可能だろうと思うからである。
勿論、介護保険は自分の為に積み立てるのではあるが・・・肝心なのは、「介護」への関心である。自分の息子の嫁と、どの様に付き合うか。どの様な二世代家族の関係を構築するか・・・在宅介護なら、それなりの準備が必要だろう。施設介護なら、良い施設を如何に確保するか・・・・少子化の時代である。親の、兄弟差別に苦しむことは少なくなるのかも知れない。しかし、それだけに、介護情報を得るのは困難になる。地元の行政との日頃の緊密な関係の構築も課題になるだろう。あるいは、地域の交際も、二世代で必要になる。「お金・・・」だけせびり取って逃げる兄弟はいないが、心を許して相談できる友人関係の構築は、更に難しい。介護に関する「教養」が迫られるのである。早くから、介護保険料を負担しながら、「介護」について、日頃から知見を新たにしながら、自らの覚悟を新たにする・・・己が、介護世代になった時、良き介護環境が生れれば、自らが被介護になった時は、それは自らに役に立つはずである。

情けは人の為ならず・・・・けだし名言ではある。