浜岡原発・・・新たな挑戦に・・・・!

浜岡原発停止
菅直人の「寝言」としか評価しない私だが・・・・「浜岡原発・停止」の波紋が広がらない・・・つまり、mediaが、広報に二の足を踏んでいると云う事だろう。都会でのマイクには、「歓迎」の声もあるが、何か胡散臭い・・・停止・賛成を確認して、コメントを収録しているのではないかと、私には感じられる。
つまり、「原発停止」=「計画停電」の公式が、庶民の脳の中には出来あがっているのである。「今年の夏は冷房なしで行こう・・・」位の覚悟があれば別だが、介護の親を抱えていたり、乳飲み子を抱えていたりすると、coolerもなし、冷蔵庫もなし・・・・で過ごせるのか。そもそも、家の構造が、あるいはマンション・アパートの構造が、文明の利器を使わずに住める様には出来ていない。菅直人は、余程良い環境に住んでいるのだろう・・・また、brainたちは、別荘に住むことも可能なのだろう。加えて、産業基盤の沈下は、必ず「失業」を生む・・・先で、新たな採用をするにしても、当面は、余り役に立たない社員のリストラの絶好の口実になる・・・「原発停止」とは、一般大衆にとっての、大きな現状変更なのである。それが分かっていて・・・この広言なのか・・・・マイクに語る若い人の資質を疑うのだが・・・「逃げる!」;当面は、このシステム化を早急に確立し、訓練を繰り返すことだろう。Simulationこそが最大の武器になる・・・人間の力に余る技術的挑戦を始めたのだから・・・原発を諦めて〜次のenergyが現れまで〜GDPを半分にすれば、世界は「貧困化」の坂道を転落し、世界中に紛争の嵐が吹きまくり・・・人類は、束の間の平和を失い、滅亡へ急ぎはじめるだろう。

繰り返し言っていることだが・・・・今回「福島原発」の事故は、あくまで、「冷却」装置・装備の設計的油断が招いたものであり、非常時の時の決断があいまいだったことにある。炉が損傷した時・・・つまり、保護管が溶融した時の処理が決められていいなかった・・・・その為に、次の手段までに時間を要したことが、今日の事態なのである。いわば、「貧乏根性・・・」とも言うべき我々のethosのなせるものである。何事も、経験しなければ、新しい知恵は浮かばない・・・だが、基本的な所を知識として抑えない、ethosでもあるだろう。

新幹線の営業初期に、線路のポイントが冬季に凍結して動かなくなり、列車の編成に支障をきたし、ダイヤが大きく乱れることが多かった。結局、ポイントを、下からalcoholランプで温め、凍結を防いで対処したものである。2年間程度続いたと思う・・・しかし、美しい夜警だった。今は、懐かしい風景として、写真の世界にのこっているのではないか・・・現在の、凍結防止が如何なるものであるのか・・・何がしかの方法を講じているのだと思う。しかし、当時は、「あんな簡単な事が・・・」と、遅すぎた事を揶揄するコメントが新聞の記事になっていた。

今回も、津波の大きさに、全ての説明を集約しているが、東電の技術者、あるいは原発・製造・設置・稼働の技術者は、別の面からの学習をしている筈である。彼らには、彼らなりの見識で、事故の原因を探り、復旧の難しさに対処しているだろう・・・そして、日々、新しい見識を得て、新しい挑戦をしているだろう。必ずや、新しい技術が誕生し、より安全な操業への道が開けるのだと、私は確信する・・・技術者のprideに賭けて・・・・。水素爆発がなければ、原発は微動だにしていなかったのだから・・・外見では。冷却水の電源が確保されていれば、水素爆発もなかった・・・「冷却」に関する「設計の甘さ」は指摘されて良い・・・しかし、各地の「地盤沈下」に似たものだろう。

少なくとも、今回、地震津波が指摘した「弱点」を補強し、更なる強化ができれば、「原発」は、存続可能であると、私は信じる。この列島に生きた人々は、常に天変地異の災害を学びながら、その「血」を繋いできたのであるし、それはそのままinnovationだったのである。

「自然energy・・・」が、明日にも可能な様に喧伝される。今回事故の反省が足らない証である。今回の地震津波に手痛い目にあったことは、まだまだ、我々が、自然と闘う力に不足していることであるし、学ばねばならない事が膨大に存在すると云う事である。

「我々は、まだ自然を友にして生きる資格はない・・・」;もっと謙虚に、恐れずに、苦難と向かい合うべきだと、私は思う。

・・・・・何事であれ、日々の挑戦に尻ごみして、
・・・・・・・・・・・・・・・・・世界は開けない・・・のだから!