天皇語録・・・新しい発見とは・・・・?

関東大震災から7年後の1930年の記録である。
・・・・・・関東大震災に対するAmericaの支援に感謝を述べ、「ロンドン海軍軍縮条約締結」を、「この上なく悦ばしい・・・」と評価された、天皇の言葉が残っている。この、天皇の言葉が発せられたのは・・・米国大使・ウリアム・キャッスル夫妻との、皇居・宮殿での会食の席だったと云う・・・4月18日。
この席で天皇は・・・・
「米国の援助によるところ多く、比較的早く完成せられたるは悦ばしく存じ居れり」と謝辞を述べ・・・・
米国大使は・・・・
「米国は当初にいささか援助したのみ。その後は日本固有の力と日本人の驚くべき想像力によって完成された・・・」と、応えたと云う。

また、同月13日・・・軍縮条約の締結を喜び、英国大使に・・・・「益々日英米の協力により世界平和の増進せられんことを希望す・・・」と伝え、デンマーク皇太子に、人口増加による食糧不足がないかを質問、1929年の世界恐慌以来の世界情勢を憂慮していたことが推察されると、コラムは記している。

我々は、この11年後に、真珠湾奇襲をおこなっていると云う事を忘れてはならない。つまり、日本人として生れ、生きようとすれば、この歴史から無縁であることは許されないのであり、これこそが「愛国心」なのである。
1929年以降のAmericaは、大恐慌の傷を癒すことに賢明だった。その環境での、関東大震災・被災の日本への援助であり、ロンドン軍縮も、如何に世界規模の戦争勃発を防ぐかにあった・・・既に、ナチスの勃興は始まっていたのである。
同じく、大恐慌の影響をうけている日本の経済基盤は弱く、Americaなしでは、復興は困難だった。そこに、移民法等の、Americaの内政重視の外交が、日本への経済的な衝撃になり、国論が、反・英米に誘導され、日清戦争依頼の、中国軽視の風潮が強調され、満州進出となり、ロシアとの衝突、引いては世界戦争の勃発を懸念した米英蘭の、介入外交を招き、一挙に、反・西欧的な雰囲気が、国内に充満させられた・・・・日米開戦まで、僅かに10年足らず・・・・Americaにあって、「戦争不可論」を叫び続けた、朝河貫一の「日本の禍機」も、日本人の目には届かなかった。「世界の一等国」と自負する、大衆化した日本人のは、「一等国」の国民の義務や責務感覚が皆無だったことになる。
ちなみに、この「ロンドン海軍条約」にもう反対したのは、日本海海戦の英雄・東郷平八郎だったのである。

視点を変えれば、この時、日本から「天皇の姿」が消えようとして、その消えた天皇の像の上に、軍部傀儡の天皇制を被せて、存在すべき「天皇」の姿を、国民の目から隠してしまったことになる。

Remember Pearl Harbor・・・・今日まで消えないこのphrase・・・世界に流布した「憎悪」のphraseである。日本国民は天皇を大事にしていると、Europeは信じて疑わなかった。あるいは、アジアも同様だったかも知れない・・・戦後に、昭和天皇に対する憎悪は、早くも姿を消したのだから・・・Europeは、日本政府を信じていたのではない・・・・そこに存在する、日本人の総意としての「天皇」を信じていたのである。

民法問題は、原則的にAmericaの内政問題だった・・・しかし、直接の開戦の原因は、石油を求めて南下する日本軍が、アジアのイギリスである「インド」を脅かすことだった。イギリスは、大西洋の制海権を放棄する条件として、Americaの日本との開戦を求めた・・・その術中にはまったのが、「真珠湾」だったのである。

このコラム・・・・その歴史は教科書にはない。生身の人間が語ることは出来ない時間帯にある現在・・・次の世代に引き継ぐ貴重な歴史を、我々に喚起していると、私は読んだのだが・・・・