技術者の傲慢・・・robot開発の一幕・・・・

うん十億の資金を投じて、原発現場で使えるロボットの開発を推進した・・・robot先進国としての当然のけつだんであろう。何の不足もない決断である。そして、10種を超えるrobotが誕生した・・・勿論、プロトタイプと考えるべきだろう。

それを、原発に携わる技術者に説明した・・・ある会議室で・・・。その反応は、殆どロボットに興味を示さなかった様子である。つまり、会議室で、パソコン・映像を使っての説明かだったらしい事が若返る。普通民間だったら、少なくとも疑似現場を設定して、demonstrationが行われ、その結果で得られた知見で、改造が加えられ・・・あるいは、何度か、それを繰り返し、最終的には、現地での実実験が行わるものである。それでも、採用されるまでのハードルは高いのだが・・・

ところが、ロボットの本体は、原発技術者の目の前に現れることはなかったのではないか・・・何故なら、その直後に、原発技術者側から、robot不要論が出て、試作ロボットは、お倉入りになったと云うから・・・そして、今回、福島原発の事故現場に登場した「Americaのrobot」に国民が称賛の声をあげたのである。原発技術者、東電の技術者の目が冷ややかだった理由が理解できる。

新しい技術の技術者には、往々にしてある現象である・・・私には重々理解出来る。何故なら、私は、半世紀も前に創業した圧延工場で、新鋭工場の技術者の軽蔑にも似た眼を意識しながら、約10年を過ごした経験を持つからである。平炉から転炉へ・・・製鉄業にとっては、産業革命にも似た改革・発展だったが、消えていく技術の葬儀に立ち会うべき運命に曝された技術者の悲哀は、側に見ていて気の毒なものだった。その過去があればこそ、今の新しい技術であり、変革ではないのか・・・私の側で囁く声は多かった。しかし、その声は、改革の騒音の中で消えていった。しかし、「鉄の本質」は変わらない・・・結局、流刑地に流されたに等しい、旧技術の技術者の所を訪ねる足音は絶えなかったと、聞く。しかし、報われた話は聞かなかった。

更には、新しい技術には、日々の実権が必要である。しかし、その実権が、新しい技術・設備で行われることは少ない。何故なら、技術とは、品質とは、物性とは、単純な技術的見地からは見えないものである。つまり、過去の技術の一つ一つの要因と、その要因の絡みが見えるのは、よりprincipleな旧技術であり、旧設備なのである。

このrobotの机上のデモも、そのデモから、見えない問題を抽出する意識と知見と考察がなければ、何の役にも立たないものなのだが・・・新しい技術に酔いしれて、技術の感性として溺れ、傲慢になった技術者には見えないものなのである・・・本来なら、技術者の風上には存在してはならない存在なのであって、今からでも遅くはないから、第一線から引くべきだと、私は考える。

メルトダウンが見破れなかった・・・ロボットがあればと、切歯扼腕した技術者もいたのではないか・・・しかし、それを口に出しては言えなかった・・・その心中は察するが、自業自得である。その時点で辞表を出しておれば、せめて、潔さは残ったであろう。

原発は事故と無縁だから必要ない・・・・」。技術者として「無謬」を誇る程に危険なものはない。新幹線が、今日まで無事故なのも、そのたゆまない自己研鑽に負うところが大きいのだと、私は思う。鉄道の歴史のなかで、「無事故」と云うのは、恐らく禁句であろう・・・それでも、不届き者の経営者が現れれば、福智山線のう様な事故を誘発するのである。これも、「ATS」が設置されていれば、防ぎ得た事故だった・・・脱線事故を忘れさせる様な歴史を継承できたのであり、犠牲者の歴史を遺すことにはならなかったのである。

ロボットがあれば、meltdownは防ぎ得なくても、色々な有効な手段が可能だったであろう。これから、外国の技術者が現地に立つ・・・おそらく彼らがあきれるのは、この様な技術者の存在であり、それを許した、学識者の無関心であろうと、私は察する。

技術者よ・・・恥じよ!・・・そして、わが身を見つめ直せ!
己が技術者足るか、己の心に聞いてみよ!