新しい「国境概念」への為に・・・

日・中・韓・・・「一衣帯水」の文化圏にある三国が、日本海の小さな島・・・と言うより“岩礁”の帰属を巡って紛争を起こしかねない。また、小さな岩礁が散らばる海域を巡って領海を争う。遅れて来た者のjealousyと言えば言えなくもない。「国境」とは、その時点での強国が優先して定めるものであり・・・それが、今日に至る外交の概念でもあるからだが、国民のナショナリズムが、外交関係を危うくし、戦争を惹起してはならない・・・と、言うのは、二度の世界大戦を体験し、究極の武器とも言うべき「核」が、その手段として登場して来るに及んで、領土・国境問題を、軍事的、あるいは経済的大国のegoismだけで解決できない時代に突入していることを我々も認識しなければならないのではないか。

尖閣列島にしろ、竹島にしろ、列強が虎視眈々と、最期の植民地にするべく弱小国を狙っている最中、「内輪揉め」にうつつを抜かしていたこと報いを、それとは無関係な歴史と結び付けて、「返せの・・・、俺のもなの・・・」と、言語道断・・・結局、政権基盤が定まらない政権・国内政治のpropagandaに過ぎない・・・北方領土は、その歴史の過程で双方が交わした約束を反故にする暴挙なのであり、これも、赤色国家から脱皮できない政権のpropagandaなのである。北に東に「未成熟国家」を眺めながら暮らす悲哀なのだろう・・・。私などは、北朝鮮金正日が、チュモン高句麗復活を志すなら、日本は積極的に支援すべきではないか・・・・遼東〜満州に、新・高句麗が誕生し、渤海が生き返らせることも、一つの外交ではないのか・・・と、考えるのだが・・・。

朝鮮半島の政権・政府が、歴史的事実として領有を主張するとすれば、かつての「高句麗渤海」の領土までの領有を主張することは不可能ではない。金正日が、正温が、その挙に出る時、日本の対応は如何にあるべきか・・・考えるのは愉しいが、ある種の危険を伴うことは否めないだろう。また、中国は、清朝末期に、多大な領土を帝政ロシアに依って奪われている・・・勿論、現在はロシア領ではないが、中国の領土復権を阻止することは理論的には不可能だろう。

日本も、壱岐対馬は、「倭」の領土として認定すれば、日本の国土を疑う必要もないが、朝鮮半島との親密さを疑う事はできない。そして、沖縄は、清朝との朝貢関係にあったことは、歴史的な事実であるし、沖縄を「国家」として独立させよと・・・世界世論が持ちあがるようだと、ひと悶着は免れられまい・・・・しかし、一度は、施政権がアメリカに移ったが、沖縄県民の強い要望によって日本に復帰した経緯を考えれば、日本の領有権に問題はないし、日本国家、そのものであると断定するに躊躇するものではないだろう。

その意味では、中国はチベットベトナムとの、領有権問題が皆無とは言えないし、前述したロシアとの関係も、問題無しとはしない。また、韓国は、北朝鮮と言う、中国の傀儡政権とも言うべき「政権・国家」を腹の中に抱え込んだ陣痛を常に苦しんでいる国家ではある。

また、韓国〜朝鮮半島の政権の意味でも〜は、百済新羅高句麗三韓

そして日本・・・日本海の広さが、この列島の歴史に妙なる効果を果たした・・・近すぎず、遠からず・・・
大陸から、この列島に大陸の人々が大量に渡来したのは、1万年程前の、氷河期の終わりに近い頃だったと云う。つまり、海の後退で、日本海は、殆ど「徒歩」で渡ることが可能だった。大陸で、有史以前から、各民族の争いは続いていたであろうから、戦いに敗れた民族や、小さな王朝は、浅くなった日本海を渡って、この列島に逃れたのだろう・・・
私のimageである。
ある部族は出雲に、ある部族は隼人になり、ある部族は、宇佐に神がかりし、大和朝廷の「神」になった・・・応神天皇。また、早い時期の渡来者は、蝦夷となって、弥生以降の渡来者の王朝に追われ、あるものは沖縄に、ある者は東北に、あるいは北海道に追われて、其処に、古い文化を温存しながら、今日まで、伝承させてきた・・・。
そして、彼らが、この列島の自然の中で醸成した文化・文明・・・非常に復活力を持った自然に根差した・・・が、大陸・半島の人々の羨望となり、長寿伝説を呼び、それは、スイフトの「ガリバー旅行記」にまで登場する。
特に「鉄」は中国大陸から朝鮮半島に伝わり、技術的な進化をするが・・・・「鉄王・スロ」や、チュモンの「高句麗建国」の半ば神話に近い(と、私は感じるが)歴史は、一貫して、「鉄」の技術が、国家の強さとして語られるのが、韓流・歴史ドラマでもある。
また、古代中国の歴史書、古代朝鮮王朝との交流の歴史書の中には、この列島の「鉄」にまつわる説話が多く語られていると云う・・・・司馬遼太郎のエッセイにも度々語られる。
しかし、近世には、この列島の王朝・・・「室町〜江戸」の王朝は、大量の「刀」を、輸出品として記録していると云う。また、中国大陸、朝鮮半島の、国土の荒廃・砂漠化・・・は、「鉄生産」の痕跡だと・・・司馬遼太郎は強調する。つまり、当時の「製鉄」のenergyは「木炭」である。「1トン」の銑鉄を得る為には、「1トン」の木炭が必要だったと、司馬遼太郎が、そのエッセイに記していたと記憶する。つまり、大量の樹木を犠牲にしないと、「鉄」の生産は不可能なのである。そして、木々を伐採するれば、山は荒れる。自然・二次林が、例え、時間を要しても、何とか再生するのは、この列島の自然の恩恵なのである。

現実に、韓国・ソウルの市街地に見る山の斜面に緑は薄い・・・興南の社宅を囲む緑地は、土饅頭(墓)の丘に、日本人が植林したものだと、父は語っていた。中国の、黄土地帯も、杜甫や白楽天が詠んだ詩の中には、沢山の「緑」が存在するそうである。私も、「唐詩選」の中の数種を先輩に教えて頂いたことを記憶する。
日本では、奈良の大仏を造営する時に、銅の精錬に大量の木炭を使った・・・その時に「木々」を切り出した山が、今日も、広島に、痩せた山肌として残存していると云う。ちなみに、「牛」の産地は、近くに「砂鉄」等の産地があって、古代に、鉄の生産や、銅等の精錬が盛んだった地域なのだと、読んだこともある。山の崩壊と、精錬の時に大量に発生する、通称「ノロ〜鉱滓」で埋め立てた谷が、牛の放牧地となった為であると・・・も言われる。
日本、近代化の潜在力は、この列島誕生の中に存在し・・・そこに育まれた文化・文明が培ったものなのである。

その意味で「一衣帯水」と云う言葉を使うなら、意義深いものがある。そこで、「国境」である。

私は、トルコの西側に点在するギリシャの島々が、国境問題を惹起していないか・・・興味があるのだが、それに触れた「読み物」にお目に掛らない・・・勿論、私が読めるものとして・・・。
島であれ、大陸であれ、人間の為に存在しているものではない。多分に偶然に、そこに人間が住みついただけ。そして、身の安全を図る為に国家を形成し・・・気のあったものが、お互いの安全の為に、「領土化」したものである。繰り返す、地球誕生の時に、大陸・島々が誕生した時に「領土」と定義されたものは皆無であり、誰の所有物であろうはずもない・・・言わば、早い者価値で国境が引かれ、時に、力に任せて強奪したものである。したがって、現状変更は、力で、武力で、戦争に訴えて行うしか方法はない。お互いに領有権を主張すれば、その方法は、ただ一つ・・・「戦争」しかない。

その愚を犯すのが、政治であり、政治に訴えるのは、自らの犠牲も覚悟しなければならず、力の均衡を崩さないためには、常に、武力の温存・鏡花が必要であり、そこには、双方の国民の犠牲を強いないではあり得ない。「核戦争」の時代・・・人類全滅を賭けて戦争に訴え、その戦後に「放射能」の恐怖に怯えながら生きるのか・・・その選択は厳しい。また、その不安が、「戦争・紛争」を惹起する要因になる・・・
「領有」のメリットはなにか、領有しなことのデ・メリットは何か・・・そろそろ、その範疇に思考力を使っては如何か・・・此処まで長々と述べたことの目的である。そこに国防ラインを設けるなら、そこを死守する恐怖に生きなければならない・・・他国を締め出して何の利益があるのか・・・海洋資源〜漁を含めて〜と云うなら、その方法がないものでもないだろう。
お互いの平和な思想が、お互いの生存の条件として重要になっている現在、その思想をお互いに確認しながら、共存に向けての議論も不可能ではないだろう・・・韓国・中国・そして日本も例外ではない・・・「政権」維持の道具として、その国境が国内問題・内政問題化して久しいのである。「島々」の問題は、内陸・国内への移動の問題とは同一ではない。至って、資源問題であり、その資源の為に国境問題化しているのである。

特に、北方四島・・・・この島が、今回の東北地方と同じ被害を受けないとも限らない・・・その時、救援は・・・と、問うだけでも、その解決の方法は探れるのではないか・・・・個々人の、あるいは、国内の政治問題を、他国の政治体制を揺るがす如くに騒ぐ人々の侵入は好ましいものではない・・・しかし、小さな島での共存を試みながら、それを、夫々の国内のprototypeとすることも不可能ではない・・・と、私は考えるのだが・・・

中国・韓国の要人が、被災者の手を取って慰める・・・戦場の赤十字に似た行動。こんな風景がありながら、一触即発的な外交関係を惹起する国境問題・・・お互いに「愚か」な事だとの認識にせめて近づくべきではないか・・・。