借金の話・・・・

万里の長城、ピラミッド・・・・世界の各地に、古代〜と言ってもいいだろう〜の遺跡があり、今、片端から世界遺産と云う「冠」が載せられている。近くは、東北の「藤原の栄華」が世界遺産に登録された。地元は、地域の振興を狙い、願っているが、「世界遺産・登録」の建前は、「保存」のはずである・・・何の為に保存するのかは怪しいのだが・・・恐らく、多くの、もの見遊山の観光客が押し掛けて、「遺産」を遺産足らしめない状況にするのではないか・・・と、私は危惧するが、押しかける方は、「見る権利」を主張するのだろう・・・・

昨夜の某TV局の番組で、次の様な数字が話題になっていた・・・特段に珍しい数字ではないのだが・・・それを説明する与謝野馨財務大臣の論調が、私には面白く聞こえ、納得もした。流し聞きの記憶だから正確ではないが・・・・

我が国の税収は、ほぼ40兆円、そして負債は、1、000兆円。これを家庭の規模に置きかえると・・・・・40万円の収入の家庭が、1億円の借金をしていることになる・・・・との、局キャスターの説明・・・聞きなれた説明であり・・・・多少、脳の軽い人が喜ぶ数値である。
与謝野さんの説明は・・・・正確ではないが・・・・1億兆の借金の遺したものを評価せずに、家族旅行や、マイホーム、あるいはパチンコに浪費した1,000兆円と比較することはしてはならない・・・と、言うものだった・・・私の理解では・・・。

ピラミッドも、現在の我々の目には、全くの無用の長物である・・・辛うじて観光資源として役に立っていると言えば、役だっていると、辛うじて言えるだろう。これを作った当時の王も、こんなものが、国民の役に立つとは考えていなかっただろう・・・私は思う。つまり、国家が隆盛な時期、戦争には、連戦・連勝で捕虜も沢山獲得する、領土も拡大する・・・負けた側は、概ね後進国だから、人々は、戦勝国の首都に流れ込むだろう・・・しかし、そんな事が永久に続くはずがない。繁栄が頂点に達した頃、人々の贅沢も頂点に達するだろうし、贅沢から外れた人々も増えるだろう・・・そして、人口が膨張した国家に「貧乏」が蔓延する・・・しかし、人民が個々で成長し、新たな市場を作れれば良いが、人口だけが拡張して、経済的・産業的に「希薄化」した、国家には、「不満」が増大するだけである・・・・そこで考えるのが、巨大なmonumentの造営・・・つまりはピラミッド・・・・国家の財政とは、この様に「無駄」なものに消費され、政権を危うくし、王朝の交代があり、歴史が進む・・・・万里の長城しかり・・・長い中国の歴史の中で、歴代の王朝は、万里の長城の内側の内紛から滅び、交代したのが、この地の歴史である。

高度経済成長時代の「箱もの行政」・・・これに似たものだったのは言うまでもない。土建業者と箱ものに関係した業者だけが潤い・・・経済が斜陽になったときには、その箱ものの出現を喜んだ住民には、「苦難」だけが遺された・・・しかし、責任は「箱もの」だけにあるのではない。地域の、箱ものに相応しい住民に成長・変身できなかった住民の責任でもある・・・でなければ、住民は紀元前数世紀のエジプトの人民と何ら変わることではないのである・・・。

与謝野さんが言っているのは、1,000兆円の借金がすべて「ピラミッド」ではないでしょう・・・と、言っているのである。新幹線が列島を縦断し・・・しかも高速で・・・道路は、殆どが舗装され、道と云う道のクルマが溢れ、国民の半分以上が高等教育・大学教育を受け、ノーベル賞受賞の科学者は急増した。200年足らずの間に、正に世界の先進国となり、未曾有の敗戦を体験したにも関わらず、日本は、世界の経済先進国である。Americaに守られていると云う嘆きはあるが、Americaが守らなければならない程の経済大国なのである。東日本の被災地・・・仮設住宅を見た中国人が「ホテルの様だ・・・」と、言ったとか言わなかったとか・・・これが、経済大国の被災地の姿なのである。しかも、東京程に豊ではなくても、住民の心は豊かである。東京なら、これ程見事なマナーを見せただろうか・・・私は疑うのだが・・・・ともあれ、豊かさが生んだ「品格」なのである。

世界的に「税金が安い」・・・・それは、これほどの国家に住みながら、先人たちの功績を甘受しながら、得ている恩恵が多大であることの証なのである。また、高齢者の預貯金は、世界でもトップであり、その預貯金は、超高齢の親から高齢の子供に相続され、預金通帳の中で増え続けながら、また、超高齢になった親から、高齢の子供に相続される・・・その繰り返しのなかで、増殖しているのである・・・・。つまり、国家の借金は、姿を変えて、高齢者の預貯金として、僅かながら、国家に貢献しているのである・・・・が、経済の低迷化の主たる要因になっているのである。

今回、ヤフーの孫正義氏が、東日本震災に多額の義捐金を差し出した。今後も、自らの報酬の大部分を、この地の復興がなるまで、義捐金として差し出すらしい・・・・「お金」の健全な使い方・・・これを評価するmediaもmass communicationも殆どないのが、この国の、国民の異常性である。高齢者の預貯金が、義捐金に化ける・・・・そんな図が出現すれば・・・1,000兆円の負債を論じる機運にも変化が生まれるのかも知れない。

極論すれば、国の借金を非難しながら、自らはパチンコで生涯の多大な時間を浪費する御仁が多すぎる現状・・・・税負担を論じる資格はないだろう・・・と、自らに問う。何処かに、誰かがピラミッドを立てるのを待っているのである。そこで、石を担いでいる間に寿命が尽きれば、それが、幸せな人生・・・・そんな国民が多すぎる・・・・と、私は思う。

国家とは自分の「もの」である。その国家が抱える負債・・・その負債の内容を真面目に吟味する意欲が求められているのだろう。「消費税」「復興税」「社会保障税」・・・・「年金、健康保険」等々・・・・真面目に働く人々が存在する間に、何としても、我々の意識を刷新しなければならないのではないか・・・決して、万里の長城を欲しがってはならない。ピラミッドを望んではならない。せめて、「戦艦大和」で戦って見ようと云う、やぶれかぶれの心情を自らに問う勇気が欲しい。また、スエズ運河を掘る情熱が求められる・・・・昨今なのである。

この国は、まだまだ借金が可能である。負債を子孫に残す・・・我々より賢い子孫を育てれば、それも、現代人の贖罪にはなるだろう・・・。ただ、馬鹿な親から、祖父母から、賢い子供や孫が育つか、否か・・・これは、「賽の目・勝負」でもあるだろう。