それでも、貴方は長生きしたいですか?

スウイフトの「ガリバー旅行記」・・・童話で読んだ方は多いのだと思いますが、成人してから読んだ方は、私の周りでは少ない・・・私も、童話の本で読んで、読んだ心算になっていました。ある時、「死なない人」の話を知り、驚きました。教えて下さった方は、「日本」のこととしてお話になったと記憶するのですが、日本から本国のスペインに主人公が帰国したことは読みとれますが、「死なない人」の話は、日本の近くの国〜島(小笠原辺りか?)〜の話だと、私は理解しました。
しかし、「ガリバー旅行記」・・・この航海が1,706年に始まっていますから、大昔の物語とは違います。しかし、中に登場する色々な事件や、色々な国での体験や社会のあり様は、何とも、「眉唾」の話としか、私には読みとれません。恐らく、この時代の文学、哲学、歴史、そして、社会制度などへの、皮肉・批判なのでしょう。それらの深い知識がなければ読めない本なのだな・・・岩波文庫の一冊を読む事は、当分諦めました・・・読んでいて、馬鹿にされている様な気分になるだけですから・・・。でも、「死なない人間」の話は、今日、高齢者の救命医療の在り方と関連させて読むと、考えさせられます。私は現在75歳ですが、やはり80歳までには・・・と、考えますね・・・・。

航海の途中で訪れた、小さな島(国家)で、ある人間を「不死人間」と呼ぶ事に気が付いた主人公は、一度は必ず死ぬ人間を「不死人間」と呼ぶのかと、説明を求めました。
説明に曰く・・・・
極めて稀に・・・ひと世代に2,3人・・・額〜左の眉の下のすぐ上〜に、赤い丸い斑紋を持った子供が生れることがある。これが、「不死人間」の誕生なのだと・・・。
最小は小さいが、成長の過程で大きくなり、色も変わる。12歳〜25歳で「緑色」となり、25歳で、濃い青に変わり、45歳で真黒になり、大きさも変化しなくなる。
特定の家族・家系に生まれるのではなく、全くの偶然で生れる。そして、不死人間の子供も、この印がない限り、他の子どもと同じ様に死んでいく。・・・と。

この話を聞いて、主人公は嬉しく、喜びを感じた・・・「なんと言う幸福な国民であろう!」と。
人間に必ず付きまとう、あの禍(死)から解放され、死の絶えざる恐怖が精神にもたらす暗澹たる重圧感を感じることもなく、心を常に何の屈託もなく自由に遊ばせることの出来る・・・素晴らしい「不死人間」を、と。
もし、自分が確実に、永久に生き存えられるとしたら、どんな風な生涯を送り、歳月を閲するかと言う検討をした・・・もし、貴方が「不死」だったら、どの様に生きますか・・・?

①全ての知恵を絞り、すべての手段を尽くして富を獲得することを心に決めるだろう。
②節約をし、経営の才能を働かせて富を追い求めれば、約200年の中には、王国きっての大金持ちになれるだろう。
③若い時から学問や芸術の道に精進すれば、やがて学問・芸術の道にかけては、他に並ぶもののない大学者・大芸術家になれるだろう。
④公に起った事変・事件で多少とも重要なものについては、ひとつ残らず記録をとっておき、歴代の国王や大臣についても、その性格を偏見を交えずに記しておきたい・・・・そうすれば、私が知識と知恵の言わば生きた宝庫となり、国民を指導する神話的存在となることは、火を見るよりも明らかである。・・・・云々。
結論は、「人間には、不老長寿を願い、現世の幸福を願う欲望が生れつき備わっているものだ・・。

じっと聞いていた島の人が答える・・・・「貴方は、何か大変な誤解をしていると・・・・。
*バルバーニーでも日本でも、この様な人間は生れない。しかし、そこでも、不老長寿は人類普遍の欲望であり、願いである。墓場に片足を踏み入れた者は、誰でも必死になって、もう一方の足を、そこに入れまいとするのが常だ・・・しかし、ラグナグ島だけは違う・・・ここでは、長寿を望む気持ちが余り強くない。絶えず「不死人間」を、目の前に見せつけられるからだ・・・と、以下に!
*貴方があれこれと計画しておられるような生き方は、とうてい理屈に合わないし、無茶苦茶だ!
 何故なら、永遠の若さ、永遠の健康、永遠の元気が、その前提になっているからだ・・・。いかに途方もない望みを抱く人間でも、そんな事が可能だなどと思う一人もいない・・・・。と、前置きして、不死人間についての詳しい説明を始めた・・・。

①30歳くらいまでは、起居動作の全ての点で、普通の人間と同じ様に生活する。しかし、その年齢を越すと、次第に憂鬱になり、意気消沈し始める。この様な状態は80歳になるまでに一層酷くなる一方である。
 この国で、人間の寿命の最高とされている80歳ともならば、さすがの彼等も、他の同輩の者たちと同じ様に老人につきもののあらゆる愚かしさや脆さを暴露する、ばかりでなく、絶対に死ねぬと言う前途に悲観して、更に多くの弱点をさらけ出す様になる。

②それだけでなく・・・・頑固で気難しくて貪欲で、そして不機嫌で愚痴っぽくて、お喋りになる。
③他の人間を愛するとしても、せいぜい孫の世代の者までだ。ただもう嫉妬深くて、おまけに、実行する力もないくせに、欲望ばかりが強いのだ。それも、何に嫉妬するかと言えば、これがなんと「若い連中の放蕩三昧な生活であり、老人連中の死ときているらしい・・・。
④葬儀に出会うと、その都度に、自分達の到底及びもつかない、あの世の、永遠の憩いの港に、他の者達が逝ってしまうと言うので、さめざめと嘆き悲しむ(自分の不運を)と言うわけだ・・・
⑤夫婦の若い方が80歳に達すると、その結婚は習慣的な優遇措置によって、解消される。80歳を過ぎると、法的には死んでいるとみなされる。そして、生活費の僅かな一部を残して、残りの全財産は、跡取りが相続する。


⑥80歳を過ぎると、賃借契約を結ぶことも出来なくなる。

⑦80歳を過ぎると、どんな訴訟事件にも、証人になれない。
⑧90歳になると、歯も欠けるし、髪も抜けてしまう。ただ、飲み、食うだけということになる。人の名前も、親友や親籍の名前さえも忘れてしまう。

⑨記憶力が衰える、失われると「読書」の楽しみも、味わえなくなる。僅かな文章でも、記憶力がなければ、読み通せなくなるのだ・・・・

⑩200年も経つと、会話らしい会話も、近所の普通の人間的交際も不可能になり・・・時に「言葉」すら変わってしまうので、自分の国に住んでいながら、まるで、異邦人と同然になる・・・
等々・・・・
貴方は、それでも、「不死人間」を望みますか?「死」を恐れますか?「死」がおぞましいですか?
人間ってなんでしょうね・・・・?