大山鳴動せず・・・

「論理なき 罵詈雑言の 戦闘は我が民族の エートスなりや」・・・・拙作
人心が乱れた時、世は・・・政治・・・は乱れる。その意味では、今回の「不信任」の提議はあってしかるべき・・・自民党が責められるものではない・・・と、無知なる大衆の「ガス抜き」にはなる・・・と、私は考える。
また、「こんな時に・・・」との慨嘆にも、私は与しない。社会に危機が襲いかかった時、危機に瀕した時に、その指導者なり、政治のtopの首を据え変えることは、当然であろう・・・昨今のアラブ諸国の騒乱にも似たものと考えるからだ・・・。
能力なき政治家、首長に、その対応を任せることは、国家なり、社会なりを滅亡に追い込むことになりかねない。今回、不信任案・否決は、菅直人の政治生命の維持を確実にし、暫しの静けさを齎すだろう。現況の復興の筋道が正しいと、民主党は判断したと理解したいが、「政党の、政権の延命を図った・・・」と言うべきであろう・・・「宰相が無能でも、事態は落ち着く所に落ち着く・・・」と考える、我が民族のエートスのしからしめるものでもあるだろう・・・悲しいことだが。あるいは、そのジェスチャーで、政局を乗り切ったと言うことになる。鳩山由紀夫が騙されたか、否か・・・そんなことはどうでも良い。鳩山由紀夫よりも、菅直人の方が役者が一枚上であったことは確実であろう。そして、小沢一郎の「だらしなさ」が、際立った、今回の「不信任案」劇場だった。失望したのは、官僚だろう。

まぁ・・・私が呆れたのは、民主党の「反対演説」・・・中間中学校で「弁論部」に属し、大舞台に立つ事はなかったが、校内予選の舞台で行った、私の「弁論」の方が余程立派だった・・・。「恥ずかしくないか・・・」、TVに視聴しながら、これが、民主党の発言力かと・・・大落胆・・・その意味からも、早く政権から去って欲しい・・・私の願いである。議場の民主党員も、こんな演説を聞いてはいなかっただろうが・・・空々しい拍手が聞こえたのが残念だった。情けない実態ではある。

親分の変節に同調せず、自らを貫いた松木議員・・・それなりに私は評価するが、これが、我々の求める「政治家」の姿であり、このヤクザ的エートスの中に、この国の「民主主義」の、底の浅さを時間する。我々は、江戸時代のエートスのままに、このグローバルな世界に生きているのだと、恐ろしくもあり、情けなくもある。自民党の、大島副総裁の演説がなかったら、議場は、茶番の誹りを免れられないだろう。大島演説が、菅総理の今日に至るまでの総括を我々に提示してくれたのが、僅かな救いである。現在の民主党に「弁論」の出来る、弁論の能力を持った議員が存在するのか・・・前原誠司にも落胆した私だが、言葉を並べるのは、前原誠司も旨い。しかし、その論旨足るや、殆ど内容がない事に気が付く。彼のHPも然りである。

結局、民主党は「浄化」されなかった。鳩山由紀夫は、「吐きだめの鶴」を装いたいのだろうが、何のことはない、自らが「蝙蝠」であることに気が付かない、阿呆らしさがある。小沢一郎を処分できない民主党・・・党内規律も、名目だけ・・・・日本は、「無法国家」への道を辿るのだろうか・・・・

そもそも、官僚の出世コースから外れて、議員になった政務官であり副大臣である。「自らの頭上に唾を吐く」が如くに官僚をけなす・・・東京暮らしに慣れた「元・官僚」に、東日本の現状が理解できるはずもないし、具体的な政治的見識が生れるものでもないだろう・・・そんな元・官僚を抱えて、菅内閣の復興への対応のスピードアップが出来る筈もない。暫くは、東日本の被災者も「我慢」の二字で呻吟せざるを得ないだろう。

しかし、政界が国政レベルでは、多少の落ち着きを見せるだろうが・・・その底辺での「禍・呻吟」は、見えにくくなるだろう。政治家を生業としない我々が、「絆」とか「家族愛」、または「隣人・近所付き合い」などと言う、本来自らが考え、構築すべき、選択すべき事柄を政治に求める限り、この状況から脱却することは難しいだろう。つまり、「墓穴」を掘っているのは、我々国民だと言うこと・・・自戒、自戒。