1,000兆円の負債を考える・・・・

我国の税収は、40兆円。そして、負債は、1,000兆円。これを一般家庭の規模にすると・・・
40万円の収入の家庭が、1億円の負債を抱えていることになるのだそうだ・・・・ニュースはこれを悲劇として報じている。つまり、その返済を、後世代に負わせていることになるのだそうです・・・


そもそも、生身の人間の借金と、法人としての国家の借金をいっしょたくりに論じる手法が間違っています。つまりは、烏滸の沙汰なのです。何故なら、私の借金は、「返済」を念書とも言うべき「借用証書」でもって返済を約束したものですし、高額になれば、保証人も必要になり、「担保」を要求されることもあります。反面、「国債」は、一定の「利子」を付して、現金と交換できることを約した「紙きれ」に過ぎません。かつて、遠い昔に「兌換紙幣」が存在しました。紙幣の表には、この紙幣を銀行窓口で、「金(きん)」と交換できると明記されていたと言います。金(きん)の価格が上昇すれば、交換される金(きん)の量は減少したのでしょうし、価格が下がれば、逆になったのでしょうね。紙幣が、投資の道具にでもなっていたのだと、私は想像します。
恐らく、この原則は、国際間の決済では、(原則的に)生きているのかも知れませんが、巨額の「国債」に対応できる金(きん)を保有している国家は存在しないのだろう・・・と、私は想像します。
ちなみに、日清戦争の賠償金〜清朝・中国が日本に支払った〜は、「金塊」として、ロンドンの銀行に預けられていて、八幡製鉄は、その金塊で建設されたものです。

現在、アメリカの国債は、日本と中国が大量に保有しているのだと言います。つまり、アメリカの財政が破たんしたら・・・あるいは、国債の償還を停止したら、日本も中国の保有する大量のアメリカ国債は紙くずになるはずです。つまり、世界の各国が、国債の償還の為の国債を発行しながら、国家の財政を凌いでいるのです。1,000兆円の国債発行高・・・まだまだ増えるだろう・・・と、私は想像します。しかし、各国が、為替協調を続ける限り、お互いに破綻することはありません。ギリシャの状況が何故生じるのか・・・アメリカに生じても不思議はないのに・・・国債の買い手が、外国だからです・・・ユーロとは言え、各国の財政は、独立です。債権国が、自らの財政の都合で、債権国に返済を求めたら・・・最終的には、国家を売却するしか方法はありませんね。経済的植民地になることなのでしょう・・・と、私は想像しますが、敗戦直後の「日本」に似たものになっているのでしょうね。

読者の中に、戦時国債を持っていた方がいらしたら、その国債を「現金」に償還されたのか、否か・・・教えて頂きたいものです。私の父は、「朝鮮総督府」発券の、可なりの額の戦時国債を持っていたようです。リック一つの引揚の荷物の中に「一枚の証書」を潜ませて帰国したのでしょう、遺品の中にありました。余程悔しかったのでしょうね。17歳から、35歳まで築いた財産の殆どが、この戦時国債になっていたのでしょうから。現実に、注文津から乗船したLSTの甲板から、「現金」や「国債」らしきものを、海にばら撒くお爺さんが何人かいました。昭和20年8月15日を以って「紙屑」になった、汗の結晶だったのです。
敗戦・・・戦争に負けたことを国家の亡失と捉えた日本人はいたのでしょうかね。私は、成人後に得た知識の中で、昭和20年8月15日の正午を以って、「日本国家」が消えていたのだと、その瞬間を、父の残した、一枚の戦時国債の証書に回想しました・・・想起と言うべきかも知れません。
余談ですが、生命保険会社は良心的でしたね。昭和30年頃だったでしょうか、妹の「花嫁保険」が満期になり、保険金が還付されました・・・・その金額は1,000円。

1,000兆円の国債発行残高、つまり負債が、ピラミッドや万里の長城になってしまったのでしょうか? 
私はそうは思いません。戦後の、特に、1960年以降の目覚ましい経済発展・・・東京オリムピック、大阪万国博覧会・・・私は、1,000兆円の過程の残したものだと思います。高速道路網も、後世への財産です。また、IT関連技術の隆盛も後世への財産です。3・11の被災地が、この程度の被歳で済み、人々が、比較的穏やかに過せるのも、あるいは、過す努力が可能なのも、1,000兆円の過程の、私達の財産だと、私は考えます。「原発」の事故も、世界規模で未曾有の災害だったと思います。1,000兆円の過程で築いた技術があったればこそ、惹起した事故だったと、私は思います。グローバルな視点で見れば、日本の技術が、世界を救うべく呻吟している姿が、私達が目にしている状況でしょう。
1,000兆円への過程の技術の発展がなければ、今も、炊飯は「竈+薪」でしょうし、飲料水は井戸かも知れない。伝統も、裸電球・・・精々ラジオでニュースを聴いているでしょう。勿論、原発はありません。中東から南米から石油・石炭を運ぶ船も十分ではなく、外貨もないでしょうから・・・電力は細々としたもの・・・原発の事故もないでしょう。しかし、人生50年が続いているとしたら・・・生活への不満もないのかも知れません。私達は、「不死人間」の苦労をしているとしたら・・・その解決策は、「原発」を全部停止することかも知れません。

戦時国債は、砲弾になり、戦艦大和になり、特攻機になり、空母になり・・・消えてしまいまいました。それでも、技術は残ったのです。戦後の造船ブームが、大和の建艦に負う所は大きいと言います。大陸に残した、高速鉄道の技術は、新幹線に立派に生かされまし。紙屑の国債を手にした人々に恨みは残っても、その余慶を私が受けていたのですね。

我々世代は、紙くずになった国債に培われた遺産を生かして、今日の日本を残して世を去ろうとしています・・・1,000兆円の負債と共に・・・私は、沢山の、有形無形の「財」を残しているのだと思います・・・リニア鉄道も、その一つかもしれません。より安全な原発が誕生すれば、それも一つの財なのでしょう・・・その評価は、後世の人々の判断に任せるしかない・・・。しかし、これだけは言えるのではないでしょうか・・・・
 明治初期に農民は重税に苦しんだ・・・税が「金納」になったことが最大の原因だが・・・それは、近代化に必要な「財・技術」を幕末の政権〜徳川幕府〜が十分に残さなかったからだと、私は思います。存在したのは、僅かに「絹」の技術だけだった・・・と、言っても過言ではありません。長州が、倒幕に、過激な動きをしたのも、幕府の開国政策が、長州の物産であり、藩・収入の財源だった、「木綿」に大打撃を与えた(インド産・更紗に対抗出来なかった・繊維の太さが原因である)からです。事実上、幕府も、また明治政府も、瞑目して長州を救うことはありませんでした。
 これに比較して、先の大戦の敗戦の後には、闘いの準備で残した多くの技術がありました。また、列島の立地条件から、アメリカの有形無形の支援が得られ、それが、新生日本の技術力となって具現化した・・・言葉を換えれば、戦時国債を無駄にした「敗戦」が、形を変えて、戦後の恩恵になったのだと思います。いや、戦後の日本人が、恩恵と化したのですね・・・。

1,000兆円の負債・・・怯えることはない。その負債から何が生れるか・・・それを楽しみにする程の寿命はありませんが、後世の人々の努力・頑張りが私には見えます・・・心配することはありません!!!。
・・・・・・諸兄も、安心して旅立たれるが良い・・・。