伊藤博文に読む、「憲政とは?」

菅下ろしの台風が吹き荒れている・・・涼しい顔をしているのは、菅直人総理大臣、只一人。鳩山由紀夫が、彼をして「ペテン師」と称したのは、目糞が鼻糞を笑ったに等しい。後日に陳謝したらしいが、空に向かって陳謝しても、陳謝したことにはならないだろう・・・・おぼっちゃまなら許されるのだろうか。常識を疑う。

「木偶の坊」・・・役立たずのことを言うのだと思うが、民主党そのものが「木偶の坊」化している。大きな図体を持てあましているのだろう。「二大政党」・・・保守党と労働党共和党民主党・・・の様にはならなかった。つまり、確たる政治的信条を持つ事なく、選挙区の都合で立候補し、当選しやすい政党を選んだだけ、いや、立候補させてくれる政党を選んだだけなのだから…正に「烏合の衆」であり、これで政治が出来ると思うのが「烏滸の沙汰」なのである。しかし、政治は、私達の「命」の問題である・・・。そんな時、書店の店先で・・・
瀧井一博著・「伊藤博文」を目にした。
伊藤は言う・・・政党なるものは、もう少し軽く見なければならぬ。余り、政党者流も自ら見ることが重すぎるし、他より之を見る者も、亦重過ぎている。span>
政治とは、教義を護持して、それをもって現実を裁断するのではなく、変動常なき門外の環境を見据えて状況主義的に判断し、行動することが・・・必要だと論じる。そして、昨日の敵といかにつるむことが出来るかが、政治的な思慮と言うことになる。イギリス人は、譲歩の心が強い。譲歩の心の少ない者は、立憲政治には、不適当な人民である・・・と。「伊藤の求めた「政治」とは、行政を中心として「国制」を整備すること・・・その「国制」という器には、「国民政治」という精神が注入されるべき・・・」。著者の「伊藤博文」と言う人物にこめる思いから生れた一文だろう。

憲法」、「帝国大学」、「帝国議会」、「立憲政友会」、「責任内閣」、「帝室制度調査会」、「韓国統監府」・・・伊藤博文の手掛けたものである。大久保、木戸・・・等の創生した新しい形の日本に、近代化の「血・肉」を付けた政治家であり、現代日本の魁となった元勲であると、私は理解する。注目すべきは、「帝室制度調査会」の審議の過程に、後にこの国の方向を誤らせた「統帥権」の軍部からの剥奪がふくまれていたことだろう。結局、山形有朋の横やりで、努力は実らなかったが、著書によると、伊藤は、それを韓国統監として、この国に移植したかったらしいことが伺える。明治〜大正期の政治を読むとき、注意したいと思う。
以下・著書に順じて、伊藤博文を読んでみたい・・・・
立憲政治とは、国民に政治参加を保障するシステムである。つまり、天皇と国民が、国家の統治を行うという、君民共治の原理に基づくものであり、重点は、国民の政治参加と、その責任に置かれるのである。
此処で言う「立憲政治」は、欽定憲法下の立憲政治である。そのままに現・憲法に置き換えれば、「天皇」は、「国民」となる。もっと我々は、政治に高い関心を持ち、己の政治的教養の涵養に努めるべく努力をしなければならないのではないか・・・。その意味で・・・昨今の、菅直人・総理大臣の辞任劇(まだ実らないが・・・)に、我々国民が参加しているだろうか。被災地で貢献するボランティアは、参加しているのであろうが、巷に高みの見物を決め込んで、あたかも、政治家の、政党の問題として傍観している我々においてや・・・の感はぬぐい得ない。
伊藤は言う・・・国民は、天皇ですら侵すことの出来ない「政治上の権利」を保有しており、その権利を駆使して国家を盛り立てることが、天皇に対する、国民の義務である・・・・と。つまり、立憲制度とは、国民の政治化を前提としていて、政治的に覚醒した国民の秩序化であり、君民共治という政治様式の実現である・・・と。
伊藤博文にとって、政治とは、決して闘争を本質とするものだったのではなく、むしろ、国家と言う統合の場を作りだす協調と宥和の営みに外ならなかったのである。日々の、菅下ろしのニュースに一喜一憂し、メディアの宣伝に乗って、菅直人総理を悪人あつかいして、自らの政治的見識としてしまう愚かさの中に我々はいるのではないか。政治を「数」の論理で考え、政治家の無能を誹謗し、自らの政治的見識の薄さに気が付かない己の軽さを恥じない恥ずかしさ・・・その退屈さが、また、総理大臣して、総理大臣レースの馬と化してしまっている・・・恥ずかし気げもなく。「菅直人」を総理大臣に選んだのは誰か! そもそも「民主党」にあれだけの議席を与えたのは誰か・・・その誰かの変節なのか・・・民主党・国会議員の辺節なのか・・・。あるいは、選ばせたものは、何だったのか。投票をした国民としての責任を放棄してはならないだろう。
伊藤は、「政友会」なる政党を結成するが、本来は、「政党不要論」だった・・・その下りは・・・立憲政治は、必ずしも政党を必要とするものではないが、現実問題として、政党なき立憲政治は存立しない・・・と言うものだった。
当時のシステムは、「元老+貴族院」が、総理大臣を天皇に奏上し、天皇から詔勅が下され、組閣が行われるもので、多数党が、必ずしも内閣を組織するものではない。従って、内閣が政治的不能に陥れば、少数党であっても、政権は少数党に詔勅が下ることになる。昨今の「菅内閣」の様に、統治不能に陥れば、恐らく、自民党・谷垣総裁に、組閣の詔勅が下るはずである。故に、伊藤博文は、「政党」の必要性を認めなかったのだが、政治活動の実態を考えれば、政党なくして、組閣は不可能・・・との配慮があったのだと、私は思う。そこで・・・
伊藤の理念に従えば・・・政党は、内閣に人材を提供するプールであるべきであり、内閣と政党の立場が逆転されてはならなかったのであり、内閣というのは、政権闘争の勝者によって、占奪される場ではなく、国家的見地で、公平な施策が思案されるべき「知恵の府」でなければならなかったのである。そもそも、国会議決は、此処の議員が自らの政治生命を賭けて、その賛否を表明するものであり、議員が投票マシン化することではなかったのである。
ジョン・F・ケネデイの「勇気ある人々」の中に、支援者の意向を無視し、所属政党の政策に反して、己の信念に基づいて、政府の政策に「賛成」の一票を投じ・・・法案は一票差で成立・・・次の選挙では立候補出来なかった議員の話がある。議会制民主主義・代議員制度の議会とは、議員の個々の信念に基づいて機能するものであり、悪戯に「党議拘束」に準じて、己の政治信念を無駄にするものではないのである。

歴史とは、現在を裁く資料でもある。また、国民感情・・・ナショナリズム・・・でもある。お互いのパトリオティズムを尊重しながら、同じ悪夢を見ない為の努力が継続できれば、歴史の解釈に正邪を言う必要はないと、私は考える。

勿論、この一文・・・現在の日本の政情を考える為に記したものである。今日まで、私が接して来た歴史観とは一味違った歴史を学ぶことができた・・・興味ある方は、自ら、該著書を手にされることを望みます。