「新幹線」と言う文明・・・・

緊急の処置を要する、しかも高度の医療を必要とする「命」を救うことは、「時間」との闘いである。そこに、「走る病室」・新幹線が活躍する。
ドクターヘリがその手段であり、時に旅客機、自衛隊機が使われる。遠隔地(国外等)、あるいは、海上搬送には、なくてはならない手段ではあるが、呼吸器系に疾患を持つ乳児は、機内の気圧の変化で容体が急変することもあるのだと言う。また、ドクターヘリでは、医療機材の持ち込みにも厳しい制限がある。「新幹線」は、それらの隘路をクリヤーする。

新聞には、鹿児島市で誕生した「先天性気管軟化症」の新生児が・・・・鹿児島中央駅・・・岡山間を「みずほ」、そして 岡山・・・東京間を「のぞみ」・・・・と搬送され、無事に手術を終えた・・・と、報じられている。併せて、6時間の旅である。
また、別の症例では、ドクターカーによる移送は・・・熊本市まで3時間、そして博多まで4時間を要するが、、新幹線を使えば、熊本まで44分、博多まで1時間20分弱で、移送可能だと言う。新生児の負担を大きく軽減できるのである。
新幹線が、「ビジネス、観光」の外に、「走る病室」としての大きな役割を持っていることを教えてくれた記事である。特に、九州新幹線「多目的室」が大きな役割を果たしていると言う。恐らく、在来の、各地の新幹線にも普及していくだろう。難病と闘いながら、地域の中では得られない医療技術への期待も膨らむだろう。
渋滞に妨げられることなく、気象に左右されることなく、ドクターヘリの様に、移動距離の制限を受けることなく・・・救命救急に最も適した「文明」であることに気づかせられる。何時までも、無事故・安全な運行を願うばかりである。「文明」が、反面で危険を孕みながらも、究極的に多くの人命に貢献するものであることに、思いが至る。

思えば、人類は、その誕生の日から「文明」を継いで今日がある。文明が、戦争を惹起するとの非難も多い。アンチ文明論者が、その文明よって、自身の命が守られていることに無関心である・・・家庭に職場にあるべき元気な世代が、毎日、「原発反対」のプラカードを掲げて街を練り歩く・・・それが可能であるのも、豊かな「電気・文明」に支えられて可能なのだが・・・その事には、気づいていないらしい。
文明は、一つの目的の為に誕生する。しかし、その背後に、多くの場合、「鬼子」を従えている。その代表的なものが「戦争」だろうが、人間の運用の不手際が、その鬼子を目覚めさせることもある・・・「冷却水」のことに無関心で、「メルトダウン」と言う鬼子を目覚めさせた「原発」でもある。そして、その鬼子に怯えて、「文明を捨てよ!」と叫ぶ臆病者も、また、人類社会に潜む「鬼子」なのではないか・・・。
狭い日本で、急ぐ必要があるのか・・・新幹線、航空機への批判は絶えない。そうほざいている御仁が、結構利用している図もあるのだが・・・出る所へ出た時だけ、その主張を繰り返す卑怯さには驚く。彼等は、医療と言う文明の進歩が、「急ぐ」必要性を要請してとは考えなのだろうか・・・新幹線という文明が、それに応えているのである。
文明とは、やはり、私達の希望なのだと、私は考える。