再生エネルギー

再生エネルギーの可能性とは・・・・
1.
「浮体エネルギー」、「海洋温度差エネルギー」、「太陽光エネルギー」、そして「地熱」・・・この外にも、「暖流、寒流エネルギー」等もあるらしい。
しかし、これらのエネルギーが明日から使えるものでもない。実用化可能としても、まだまだ10年、20年は必要だろう。「原発・反対」も、これらの再生エネルギーが、「原発」を凌げば、自動的に「再生エネルギーに代替すrのだろうから・・・そんなにヒステリックになる必要もないだろう。
今回事故も、原発本体が破戒されたものではない。しかし、地震津波に、その運用の難しさを見せてくれた・・・また、対応も不味かった・・・これは経験不足であり、技術者の怠慢でもある。
宮沢賢治」の言う様に、人間は覚悟して生きねばならないのである。その覚悟の中から隣人への思いやりも優しさも、また「愛」も生れる。
2.
「浮体」は、風力を進歩させた、二世代・風力と考えるべきなのだろうが、相当にきついアセスメントが課せられそう・・・私も、その騒音を経験しているが、凄まじい。頭上・10メートル程だったと記憶するが、近くで・・・と言っても100メートルほど離れても、会話に不自由したと記憶する。まだ、実用化は、水力ダム程の山中でなければ難しいかな・・・友人達と、そんな会話をしたことを思い出す。
低周波の振動の人体への影響も、決して無視できないのでないか。ケイタイの電波で病気になる様な人は、とても近くには住めないだろう・・・飲み屋のカウンターで、そんな会話を聴いたこともある。効率化も含めて、色々な改良・改造・あるいは新しいアイディアが盛り込まれるだろうが・・・立地条件、景観から言えば、相当な「迷惑設備」になりそうな気が、私にはする。中国では、万里の頂上に「風車」を並べるそうだが、世界遺産にゆるされるのだろうか・・・どうせ条約だから、何時でも破棄できるとでも考えているのだろうか。
3.
「海洋温度差」は、媒体が、「アンモニア」と言うこと。漏えいしても、実害は殆ど考えられないだろうから、効率と規模の問題だろう。また、媒体が、ほぼ永遠に循環して利用できる・・・その意味でのエコ・エネルギーでもある。しかし、一見・人畜無害のアンモニアでも、数万キロの発電を生みだす規模になれば、事故への対応が可能なのか・・・大量のアンモニア・ガスが市街地を襲う光景が少々恐怖ではある・・・未知であると言う理由で。
世界で、この研究を続けているのが佐賀大学だけだと言うのも、少し気になる。世界で一時はブームになったと言うから、それが萎んだ理由を明らかにすべきだろう。「失敗」は、「見なかった・・・」部分に生れる・・・畑村洋一郎教授の言葉だったと、記憶する。
もし成功すれば、海水汚染も殆ど皆無だろうし、海水の消費もない。アンモニアは、多少はリークするだろうから消費するだろうが・・経済的効率も期待できるのではないか・・・素人目には見える。
4.
「太陽光」・・・家庭消費の電力に限定すれば、普及は早いだろうし、よしんば「売電」を無視しても、送電ロスが生じないメリットは大きいのではないか・・・水素発電、ガス発電も、家庭用電力発電の装置としてクローズアップするのではないか・・・。
また、大都会の個人住宅の集合化も併せて促進すれば、効率の良い、送配電システムと合わせて有望だろう。しかし、その発電規模と設備費(劣化も含めて)のバランスが、家庭規模で少々無理である現在、規模の効果がどれほどのものか・・・家屋の大幅な改造を前提にしてバランスするのであれば、早急な普及を個人に頼るのは無理だろう。また、家屋、あるいは地域の美観の概念も変わらなければ・・・黒瓦、赤瓦の美観・・・田園部への普及にはブレーキがかかるかも知れない。また、夜型人間には・・・と、これは意地悪いコメントになるか!
・・・・・・・私は、人口10万以上の都市の建築基準を・・・20階以上のビルを標準とし、太陽光の効率を妨げない「建ペイ率」を法規制し、都市の俯瞰的美観の保持と、電力自給の普及を図るべきだと、思うのだが・・・まだ、次期早々か・・・。太陽熱を利用した「温水器」を、失敗だったと後悔している人も多いのではないか。私もその一人・・・結局、撤去に大金を請求されて悔しい思いをしただけ・・その愚を再びしたくはない。
5.
「地熱」・・・殆ど問題にするに値しない。地域限定的な発電システムで考えるべきだろう。
6.
太陽光、風力は、それなりに「モラル」の問題を含んでいる。隣人の太陽光パネルの効率に無関心で、平屋を、二階建て、三階建てに改造する等はあってはならないことだろうし、隣人の日照を妨げる様な、建築をするべきではないだろうし・・・「景観」以上のモラルが必要になる。もし、それらに「法的規制」を必要とする事態になれば、それは、オーエルの「1984」の世界であり、人類社会の崩壊と考えた方が良い。
その意味では・・・・・・・・・・
人類は、お互いに約束・規制をして、その約束を守ることして「文明」を生み、そして発展させてきた・・・いま、人類が人類らしからぬ行動原理の中で、新しい「文明・理念」の創出を求められている。「人権概念」も、すでに、新しい文明理念には適合しないものになりつつあるのではないか・・・私は危惧する。ある意味では、「思想的弱者」には辛い時代が訪れようとしているのか知れない。「弱者」の正義が無視される時代と言うべきかもしれない。人と「和」することが苦手、あるいは出来ない・・・ほとんど人間扱いされない時代なのかもしれない・・・恐ろしい生活環境である。もう万人が平等を求めても良いエネルギーは存在しないのではないか。何かを求める行動に自由が保障される環境ではなくなっているのではないか・・・。
7.
原発」を嫌悪する・・・ならば、新しいエネルギーの形に何を求め、己の生き方と、他人との共存の形に想像できるものは何か・・・「反対」だけでは先には進めない。他人を恨むだけでは、何も生れない・・・棺桶の中からでも、語りかけられる強靭な己があってこそ、新しいエネルギーを考えた世代に相応しい人間なのだろう。