戦陣訓ならぬ「生活訓」とは・・・

1.
かつて「戦陣訓」なるものがあり、多くの兵隊が、助かる命を失った・・・捨てたと云うべきか。今日においても、それを美化して語る人は多い。部下の多くを死地に追いやり、島の住民に手りゅう弾を持たせて「戦陣訓」を強制して、その舞台(島)の司令官は、米軍の上陸前に島を抜け出し、戦後ものうのうと、生涯を全うして生きた・・・それを批判した作家が訴えられ、裁判まで行われた・・・無罪放免にはなったが・・・司法の良識だった・・・。
2.
我々日本人は、此処まで云われなければ、自身の判断で何も出来ないのか・・・air conditionerの設定温度しかり、窓辺に「ごうや」を植えろ・・・しかり、TVのコンセントを抜け・・・しかり、等々。
しかも、それを携帯でネット配信するのだと言う。負んぶに抱っこの・・・生活訓である。
3.
原子力の研究者が、原発の危険を、その生活レベルで述べたものが、17万部のベストセラーだとか・・・恐らく、冷房と暖房の整った書斎で執筆したのだろう・・・・それを受けて、節電メールが配信されると云う。電灯を消せ等細かい注意を促すものらしい・・・その接頭語は・・・無理のない様に・・・と云うもの。つまり、情報を流した責任を回避しただけのもの・・・その結果は、節電の行為をした人間が負わねばならぬ・・・・正に「戦陣訓」の思想である。戦陣訓を作り、あちこちの若者の前で大見えを切った東條英機・その本人が、演出的自殺を計り、延命のあげくに、虜囚となった。せめて、その後の諦めが評価されても、一言の、戦死者への哀悼もなかったことが、私は、「戦陣訓」なるものを声高に叫ぶ人間の異常な精神を見せているのだと思う。加えて言えば・・・登場に逆らった将軍の多くは、南ぽ戦線に送られ、常識外れの作戦を強要する、大本営参謀本部の作戦を遂行し、戦後に、現地の戦犯として、その殆どが処刑された。「生活訓」もまた、その「轍」を大衆に強制しているのだろう。
3.
昨今の「生活訓」も、その例外ではない。
4.
国会は、昭和11年・1936に建立された・・・つまりは、暖房の冷房の不要の構造になっているのではないか・・・・ならば、暖房、冷房なし・・・勿論全館・・・で、議会・委員会を開催すべきだろう・・・まずは、範を見せよ!・・・と、私は言いたい。
5.
冷蔵庫の電源を「2時間遮断せよ・・・」とは、如何なる魂胆か・・・・そこに発生しかねない食中毒の責任は誰が負うのか・・・・「訓」は、一律に、その行動を規制するものであり、それを要請・強制するものである・・・・「戦陣訓」が、兵の個々の強さや体力、鍛錬の度合い、洗浄の様子に関係なく強制された様に・・・・全国の家庭の「冷蔵庫」の中が一律に同じであるはず・・・と云う思いこみの傲慢さがなせるものであろう・・・・。

なににしても、「他人の強制」に無条件に従ってはならぬ!!!!
・・・彼らに、貴方の命を保障は出来ないのだから・・・・。
・・・・・また、その心算もないのだから・・・・自分の為に、自分で判断しよう・・・・それで、国家が潰れるなら・・・それはそれで、諦めればよい・・・それは、貴方の責任なのだから・・・・。
責任を持って生き抜こう・・・・そして、政治を育てよう・・・次世代の為に・・・・。