魁皇引退に想うこと

華々しい凱旋、そして敗者の引退。これをスポーツの厳しさと云うが、私は、これが、私達自身の人生の形なのだと、常々に思う。
それは、昨今喧しい、菅総理への「辞めろ」コールにも通じるものであり、菅総理が、総理になった時に覚悟しなければならない、菅直人の身の引き際についての考察が全くなかったと、言う事だろう。勿論、嬉しさに舞い上がっている時、あるいは、仲々に巡って来ないチャンスに、そんなことを考える余裕もないし、意志もなかった・・・それはそれで理解しないでもないが、少なくとも、総理になった時には、覚悟しておくべきだった。

つまり・・・・「晩節」とは、過去の、あるいは「始まった時」の「未来」だったのである。魁皇は、たび重なる「カド番」に、その時の「未来」を考え、未来に賭けるものがあって、今日まで相撲を続けてきたのだと、私は思う。そして、今日から、「年寄り」としての、見えない未来への今日が始まるのである。
菅総理に、その自覚があったのだろうか・・・・お遍路とは、来世を願うものではあっても、未来を占うものでもなければ、弘法が、その未来の覚悟を促すものでもないだろう。仏教徒は、執着を離れる努力に生きてくるものなのだから・・・その意味では、菅総理に「お遍路」の成果はまったく見られないとうことになるだろう。

特に、政権党にあって、他人の褌で総理の椅子を手に入れた総理である。誰もから嘱望されたものではないし、彼を推す人があったわけではない。成り行きで、総理の椅子が巡ってきただけ・・・身の引きどころの覚悟を求める方が無理だとの話はあるが、しかし、私は、その時にある種の「変身」をするのが、人間の面白さであり、時に素晴らしさでもあると思う。猫だと思っていたら、泥棒に吠えつく犬でああったり、象だとおもっていたら、案に相違してワニであったり・・・・何があってもにこにこ・・・いや、にやにや・・・していることが、武器であるのも悲しいものである。

閑話休題・・・・・なでしこジャパン・・・・チームとしてみれば、監督がまとめたのであり、沢が指導したのかも知れない・・・しかし、私は、チームとして戦う中で、一人ひとりが、マネージメントの力を養ってきたのが、今回の快挙であったのだと思う。また、サッカーの面白さは、闘莉王がそうである様に、DFがDFに収まらない、相手の陣地に殺到している時に、味方のゴール前にぼんやり立っていることを許さない面白さが、野球とは違うのだと思うし、ラグビーのフォーメーションとも異なるものだと思う。それだけに、一人ひとりがマネージメントでなければならないスポーツなのだと思う・・・・何か、チームスポーツでありながら、テニスや卓球、あるいは陸上選手の様な要素が、一杯に詰まった面白さを、今回のなでしこジャパンの試合の数々に楽しませてもらった。丁度、ドラッカーの「マネジメント」を読んでいる数日間でもあったので、読書の理解にも、大いになった。
イレブン(編成)で攻撃している時、澤のポジションはボランチである。しかし、それが功を奏して相手のゴール前に殺到したとき、見事にフォワードに変身する・・・・もう、ボランチとしての功績は過去のものになっているのである。過去(市民活動家)を誇って、今の役割(総理大臣)を忘れた菅直人の姿が、滑稽に見える所以でもある。

片や、「魁皇」・・・・
今場所は負け越し確実、秋場所大関からの陥落もあるだろう・・・九州場所大関としての土俵は無理だろう・・・・そんな理性が働いたのだと、私は観察する。
彼は、福岡県・直方市の出身である。つまり、筑豊炭鉱のド真ん中である。現在は、北九州市の小倉が、賑やかではあるが、引き揚げてきた私が、筑豊に成長するころは、直方、飯塚が、若松から嘉麻峠までの、商売・歓楽の中心地だった。若松は、「ゴンゾ」景気はあっても、文化・景気は、直方、飯塚には及ばなかったはずである。母が、飯塚(二瀬)の生まれだったが、飯塚の「エイショウカイ」なる祭りを自慢していたし、オペラ歌手の藤原義江が毎年訪れていたと自慢だった・・・多分、嘉穂劇場だったのだろう。

直方市は、その昔から殆ど、その規模を代えていない。飯塚の嘉穂中学、嘉穂高女、折尾の東筑中学は、嘉穂中学の弟・中学だった。その中間にあって、直方の鞍手中学は、輝いていた。全て、戦後は高校になるが、昭和25年頃、この鞍手高校の講堂で、遠賀郡と近郷の群市の中学校対校の「弁論大会」が行われていた。我が、中間中学も強豪ではあった。現在でも、中間中学校の校長室に派、優勝トロフィーが眠っているのではないだろうか・・・・私も、中間中学の弁論部員として、平和を考える論文を書き、弁論大会には、ヤジ要員として2年間参加した楽しい記憶がある。弁論も、また、そのヤジも、昨今の国会には見られないレベルの高いものだった。竹下登や、海部俊樹が、早稲田の雄弁会のmemberだったと聞いた時、「俺の方が旨い・・・」と思ったものだ・・・。直方とは文化の街、石炭産業の中心地であり、国鉄筑豊本線の中心地でもあったのである。つまり、当時の鞍手高校で、激しい弁論を戦わせていた中学生は、まだまだ、「川筋気質(かたぎ)」の中に「文化」の匂いを十分に備えた少年たちだったのである。

私は、魁皇の土俵マナーに、その「川筋気質」のDNAを感じながら、彼の土俵を観戦していた。昨年の九州場所・・・初めての場所観戦だったが、魁皇を眼(まなこ)に納めて、恐らく最後の姿になるだろう・・・と、感激ではあった。それが見納めになる・・・予感がないわけではなかったが、一つの歴史の終焉に立ち会った喜びはある。
sportsの楽しみは、残像である。世代が大きく変われば、若い人たちや、関心の薄さから関心を示さない家族や女房との対話の中には存在しなくても、その寂しさの中に、己の誇りとして存在し続ける・・・・その寂しさを慰めるのは、そんな家族への軽蔑である。「家族の絆」・・・震災以来喧伝されるフレーズだが、私は、その中に、ある種の諦念と、家族への軽蔑が含まれているのだと思う。特に、社会にあって、仕事仲間との会話が、スポーツであり、政治であり・・・少なくとも、「清く正しく美しく」では捉えきれない世界であってみれば、記憶の中で浄化された、数々のシーンの中に残る、雄姿であり、感激である。それが語り合えない存在・・・歴史を共有できない家族との「絆」は切れていると云うべきだろう。

しかしである・・・・野球にサッカーに、スタンドで応援する家族には、外国のスタンドと日本国内のスタンドに大きな「差」を感じるこの頃である。恐らく、日本のスタンドの家族は、早晩、ばらばらになるであろう応援マナーでしかない・・・・私の観察である。海外のスタンドでは、プレイを見つめる眼(まなこ)の中に映像が永遠に残るであろう印象を受ける。つまり、一人一人の個性ある応援マナーであると云う事・・・・・つまり、「相撲」に通じるものである。

魁皇コール」は、私にとっては邪魔である。向き合って二人の力士の、立ちあがるまでの緊張・・・これが相撲の醍醐味である。大きな声でcallする観客の無神経とは無関係・・・・自らの体に緊張を漲らせ、身体を固くして、巨体がぶっつかる瞬間を待つ・・・この緊張が、私は、野球にも、サッカーにも欲しい・・・・陸上のスタートの瞬間の緊張も同じ様なものだろう・・・・。

緊張に欠ける政治・・・・これは、じっと緊張して政治を見つめない、考えない観客・・・つまり庶民に多分な責任がある。騒ぐことが「応援」だとする「軽率」であり、「卑しさ」である。じっと観察し、その判断は「冷静」に下すと云う、言わば、相手を脅迫する程の、我々国民・庶民の緊張感が、今必要なのだが・・・相も変わらず、優勝者に、偉大な引退者に対して、「おべんちゃら・・・」。メディアも、また犯罪者である・・・と、私は思うのだが・・・・騙されるか、騙されないか・・・それは個々人の教養であり、資質であり、矜持の高さであり、誇りの大きさであると・・・・私は思う。勿論、私自身の切磋琢磨、自戒に待たねばならないが・・・・・