早いだけじゃ・・・・

「速いだけじゃダメ」は、数日前の囲み記事のタイトルである。中国共産党機関紙・人民日報が、13日付けで報じたものを報じたもの・・・ブログで、何時話題にしようかな・・・と、文案を練っていた所に、昨夜の事故である。
勿論、この記事は、6月末に、北京〜上海間に開通した高速鉄道への共産党の警告である。落雷は致し方ないにしても〜日本の新幹線では滅多にないことだが〜電力供給設備の障害等で、度々数時間の停車が生じている・・・と、言うもの。
何れも、2時間程度の遅れらしいが・・・この程度で騒ぎたてるのかとも思うが・・・後続のダイヤの乱れの酷さがあるらしいことが伺われる。また、中国人気質もあって、騒ぎが、日本以上に拡大、高揚する事情もあるだろう。

私も、昭和43年から新幹線を利用して、毎月2,3度は利用していたが、雪の中で数時間閉じ込められたし、豪雨の停車もあった。また、東京駅構内のポイントが凍結して、駅職員が、お湯を注いでポイントを動かすという珍事も当時はあったのである。そして、冬には、東京駅構内のポイントの凍結を防ぐ「アルコールランプ」が、設置され、数年間だったろうか、冬の東京駅の風物詩だった。懐かしくも長閑な、美しい光景だった・・・今に思えばロマンを当時でも感じたものである。
また、ダブルブッキングも度々生じていた。一度はトリプルブッキングで、最終的にはグリーン車を与えられ、同じ被害者と東京までの旅を楽しんだ思いでもある・・・まだ、駅名の木片を挿入して、座席予約をしていたころの話である。相手が、キャリアーウーマン(20歳も年長だったろうか・・・)だったこともあって、マネージメントの失敗談等を含めたお話が楽しかった。
「日本でも事故は多かった・・・」と、中国当局は、言訳をしているらしい。かつての「大人」振りだと思えば、腹も経たないが・・・・
昭和40年代は、まだ、車内での、見知らぬ客同士の会話が弾んだころである。孫を訪ねるお婆さん〜私は若かった〜の孫自慢を聞かされながら、お昼のおにぎりを御馳走になったり、恰幅の良い高齢の男性からは、「時代劇の観方、そのstoryの不思議・・・等々」薀蓄のあるお話を、広島から東京まで、じっくりと聞かされたこともある。終点近くなると、網棚に残った週刊誌を集める乗客が少なからずいたことも、当時の記憶に蘇る。しかし、昭和50年を過ぎるころから、その週刊誌がめっきり減ったと、私には感じられたのだが、これは、友人との論争の話題でもある。ちなみに私は週刊誌を買ったことはない。ドフトエフスキーの数冊を荷物の中に忍ばせておけば、社内で退屈することもないし、良き隣人と巡り合えれば、週刊誌は必要ない・・・今は、そんなことを望むべくもない。見知らぬ人に話掛けても、白い目で睨まれるだけだろう・・・人付き合いの「下手さ」は、子供だけの問題ではないのである・・・・。
話が逸れた・・・・
駅構内の雨漏り、大理石のひび割れ・・・そんな事象も多いのだと云う。しかし、日本でも「工事中」の駅は沢山あったし、東京駅など、一時は、毎月通路の経路が変更になっていて、目当てのカレーの店を探したのも度々だった。他人のことを悪しざまに言うこともあるまいと、私は思う。

しかし、チケットの予約購入者が払い戻しを求めると、始発駅まで「身分証明書」と「銀行カード」を持参しないと、一銭たりとも戻って来ないし、手数料を20%も取られる・・・これは、システムの問題ではなくて、当局、あるいは、政府(国家)と、国民・人民の信頼関係なのだろう。つまり、中華人民共和国は、まだ「国民」意識が、政府にも人民にも浸透していない・・・と云う事だと私は思う。

勿論、今回の事故が、「追突」と云うところに、「速いだけじゃダメ」が重みを感じさせる。つまり、システムは、hardだけではなく・・・と、言うより、hardとsoftの両輪で、その価値を持ち、効力を発揮するものなのである。福智山線の「運転手」の様な、実態があるいはあるのかも知れない。日本の新幹線は、中央指令室が運行していると言っても過言ではないと思うが、高速鉄道の運行が、運転手の判断に任されているとしたら、この国は、高速運転の列車を走らせる資格はないだろう。
アメリカが、あの領土で、あの人口の資質で、高速鉄道への関心が薄い・・・恐らく「運行」、「営業」および、日常点検、保守に、その人材が得られない隘路があるのだろう・・・と、私は推察する。航空機なら、その人材を得るのは、比較的容易だろうが、陸上を走る高速鉄道では「困難」・・・との判断があるのだろう。おそらく、人材の点で、中国は“いまだし”と、私は思う。しかし、日本も、他山の石として、謙虚に、自身の再点検を怠ってはならないだろう。
危険だから、新幹線を廃線にせよ!・・・そんな方が、このブログの読者に居ますかね?
昭和30年・新人として配属された、幾つかの熱間圧延工場を束ねる「課長」が、お前らの製造するrailの上を走る列車には乗りたくない・・・と、東京出張が必ず飛行機だった。まだ、飛行機は恐ろしいと云うことが不思議ではなかった時代である。私の配属された工場も多少の関わりを持っていたのだが、軌条(rail)工場への前段の圧延工場が、編成上含まれていたのである。ちなみにに、軌条工場の課長は、列車で上京していた・・・・つまり、軌条圧延に供給される材料の「質」の問題として、件の課長は、我々に警告を発していたのである。時々、軌条工場に直結した工場が、長期に故障すると、私の工場と、連結した大型鋼圧延工場で軌条を直送圧延することがあったが、直送率は50%に満たなかった。つまり、半分は「屑」になっていた。
レールすらもが、斯様に慎重に製造されているのである。車輪に於いてや・・・熱処理で、鋼鉄のタイヤを嵌めるのだから、その慎重さは、思うに余りある・・・。
日本でも、あるいは外国でも、車輪〜rail間で生じる事故は少ない。時に、福智山線に類するものもあるが、人為的なものである。車両に関していて言えば、製造〜運用〜点検〜そして、定期的メンテナンスのシステム・・・という、言わば、運用・管理のシステムで、その安全が確保されているのである。私は、少しだけ管理を緩めれば、新幹線の料金は半減するだろうと考える・・・代わりに、命も半分縮むはずである。
ちなみに、国鉄・JRの料金値上げに、利用者の怨嗟が少なくなったのも、新幹線の出現以降ではないかと、思っている。
管理〜soft〜は、多分に国民性である。「もしドラ・・・」に触発されて、久しぶりにドラッカーに目を通した、そして、昭和30年代・・・職場に次々の登場した、アメリカ輸入の管理手法が、このドラッカーに真っ直ぐに繋がることにきがついた。ガルブレイス、或いはドラッカー・・・私達は、アメリカに学んだものは多いし、大きい・・・勿論、西欧各国の「経営哲学」も、そのアメリカを通じて私たちの肌に届いた・・・お、言えば反発も招くだろうが・・・・私の回顧するものではある。

日本を旅した中国人も多いだろう。そして、新幹線を利用した人々も・・・・今回事故で、何が不足したのか・・・・特許の詐称では解決できないものが「何か・・・」。心ある中国人には理解できるはず・・・私たちも、それを信じよう。そして・・・・
「他山の石」として、わが身を引き締めよう!