一流のもの・・・Copy

「一流に憧れる・・・あるいは、触れる・・・・」。ミロのヴィーナスが、来日した時、時を合わせるかのように東京への出張を命じられた。現場の、無役の高卒技術者が出張を命じられることはないと思っていたので嬉しかった。父が、当時の一等寝台(特急)の切符を取ってくれていた・・・これが最後だぞ・・・車内で出会う(言葉は交わさなくても、その立ち振舞いをしっかりと観察しておけ・・・と、父に言い聞かされた。勿論、意味は殆ど分かっていない。しかし、父は、植民地で、その身分を、殆ど給仕の地位から上げて、終戦で全てを「ふい」にした経験を持っていて、戦後の「看守」という職業の中でも、この自己研鑽の成果は失われていないと考えていたのだろう・・・・晩年の、僅かな会話の中に、時折、思い出していた。

一人の課長さんが、私を随行に選んでくれた〜理由は分からない。特段の面識があったのでもない。鳴かず飛ばずの中で、どんな命令にも素直な私の態度を評価したのだろう・・・同僚からは言われた・・・お前は、ゴマを摺るのが旨いってこと・・・と。その課長の曰く・・・君に特段の重要な仕事はない。中日の一日は、自分の好きな行動をしてよい・・・が、今、上野で「ミロのヴィーナス展」をやっている。北九州の僻地で、出会うことはないだろう・・・一度見ておくといいと、私は思うよ!との仰せ・・・・半日を費やして、10分ほど観た。美術には全く縁のない家庭(戦後の極貧生活)の少年には、全くの素養がない・・・そのことの恥ずかしささえ感じなかった・・・のだが、何か、衝撃を受けたことは確かである。

その数年後、在ることで失意の中にあった時、久留米の石橋美術館の「松下コレクション」を新聞広告で見付け・・・・気晴らしに出かけた。勿論、「松下コレクション」が何たるかも知らずに!

これには「たまげた・・・」。絵画の世界が、これほどまでに感激を与えて呉れるのか、特に、クールベの狼を描いた一枚には、失意の心が、喰いちぎられる思いがしたものである。ルノアールの美しさ、モネの光の美しさ・・・・急には詳細を思い出せないが・・・・福岡市の美術展に足を向けるようになり、モナリザを東京と京都に追い掛けて出張からの帰社が遅れて、大目玉をくらったこともある。

単身赴任の間は、東京、千葉、茨城の美術館にも出かけたが、千葉・そごうの会員チケットを入手して、毎週の土曜日をたのしんだ・・・・。

我々のそんざいで、オペラや、歌舞伎、あるいは舞台や、豪華な演奏会・・・等々の一流・本物に触れる機会は殆ど得られない・・・・経済的にも・・・・比べて、絵画は、比較的安価な入場料で可能なので、気にいれば、期間中に繰り返し観賞できる利点がある。
単身赴任の間、何度か、演奏会にも挑戦したが、まず、チケットが手に入らない・・・日劇日生劇場の「四季」の舞台も、少ないチャンスしか与えられない身では、それなりに困難でもあったし、富津の寮に帰る時間を考えれば容易ではなかった。
また、江戸・東京大学なるセミナーで、歌舞伎を堪能させて貰って、後日に、一人で出かけたが、やはり、無知蒙昧な人間の肩身が如何に狭いか・・・思い知らされた。時間を費やして、初めて観賞が楽しめる芸術の存在を痛い程に知らしめられた・・・・映画との違いであり、TVの馬鹿talentの芸との違いである。何時もお笑い番組やCMで滑稽な仕草で楽しませてくれる喜劇俳優が、幸四郎(昭和4,50年頃)のリヤ王の中で演じる滑稽役の名演技に感激したこともある。本物の醍醐味だったと、今も当時を回顧する。

被災地の大槌町に、劇団四季が出張公演・・・・演じる場所は、学校の体育館・・・その舞台の設定が素晴らしかった。「キャッツ」を演じた「テント劇場の様な舞台と観客席・・・・子供たちは、演じる役者の汗のにおいにも触れたことだろう・・・と、思う。顰蹙を買うだろうが・・・この日本に置いて、この災害がなければ得られなかった幸運である。この子供たちは多くの貴重なものを失ったであろうが、己の生涯の宝物になるであろう、「宝物」を、与えられた・・・しかし、それが、宝物になるか否かは、これからの子供たちの研鑽に掛っていることは言うまでもないが・・・。

子供達に・・・本物を・・・・J・リーグも、当初は、そんな夢を語っていた・・・小学校の校庭を全て芝生にする・・・と。しかし、今は、その夢は消えたのだろうか・・・・殆ど聞かなくなった。
しかし、芝居は、限られた、本物エリートの演じる「人生」である。学ぶ事は多い。一瞬の滑稽も記憶の中で、己を育ててくれる。流した涙は、実生活の中で、成長の中で、自ら経験するものでもある。芝居が、少年の心に、大人となる糧を準備してくれるのである・・・それを発酵させる「麹」と共に・・・。
この四季の公演・・・・被災地を巡るらしい。沢山の子供たちが、俳優の真面目な、真摯な演技に触れることが私には嬉しい。これで、TVの馬鹿talentの番組の視聴率が下がれば云う事はないのだろうが、大人が親が・・・チャンネルを回すだろうから・・・・効果は、容易には得られないだろう・・・・しかし、四季に頑張って欲しい・・・・私の切なる思いである。

子供たちは、「価値あるもの・・・」を失った。一つでも、価値あるものを、将来に価値が現れるものを子供たちに与えて欲しい・・・それが、大人の、親の役目でなくて、何を役目とするのか・・・・期待する次世代を育てるとは、次世代が生かし得る価値を与えることなのである・・・・全国の小中学校、可能ならば高等学校の体育館が、四季の舞台となって欲しいと、私は切望する。子供達に未来を・・・!