誰が「原爆」を落としたのか・・・誰が、日本を滅ぼそうとしたのか・・・Copy

半藤一利の近著から・・・・

Rooseveltとの、約束〜戦後日本の分割統治、北海道・北半分の割譲などが、トルーマンによて、悉く破棄された腹いせに怒ったスターリンの言動が詳しい。
広島・長崎への原爆投下も、もう少し遅れる・・・その間に・・・との思惑もあったが、原爆投下で日本の降伏が早まったことも計算違い・・・なにせ、分割統治の実施を「8月16日」と決めた、その翌日の「14日」に日本がポツダム宣言を受諾、そして、「15日」が終戦・・・聖断。
スターリンは、駐ソ大使のハリマン〜彼は、日露戦争後のシベリア鉄道を日本と共同経営を桂太郎総理大臣に持ちかけた人物の息子である〜と、マッカーサーに完全にしてやられた・・・その仕返しが、満州北朝鮮の産業設備の撤収であり、日本人男子のシベリア抑留である。

「二発の原爆」が、今日の日本の存在の影に、どれ程のことを及ぼしているか・・・更に言えば、テニアン島から発したB29のコールサインを日本の情報部隊は把握していて、原爆を搭載したエノラゲイの接近も数時間前に探知していた・・・しかし、広島にも長崎にも、「警戒警報」は発せられなかった・・・この責任は誰に、あるのか奈辺にあるのか、今もって謎である。

また、広島にも長崎にも、B29と闘う能力を具備した「紫電改」が数機配備されていた・・・迎え撃つ準備もあった、撃墜が叶わぬまでも、特攻的攻撃は可能だったと、生き残りの戦闘機乗りは、今日も歯ぎしりする。

警戒警報が発せられれば、犠牲者はどれほど少なかったか・・・アメリカ憎しの感情で「原爆忌」を迎える方には、どうでも良いことなのかも知れないが、私は、無関心であってはならないと思う。

少なくとも、アメリカが始めた戦争ではない。外交で負けた日本が仕掛けた戦争である・・・奇襲という手段で・・・金融恐慌以降の国際関係の被害者は、アメリカも被害者であった・・・その事情を勘定にいれれば、南進政策はあってはならなかった・・・現に、直接の外交的・経済的な、日本に対する締め付けは、イギリスから求められたもの・・・腹背に敵を作って戦争をして勝てると思っていた国民の思慮の浅さである。
明治の元勲が姿を消した日本の悲劇であった・・・歴史への反省なくして、あらぬ憎しみを叫ぶ「原爆忌」そして、8月15日・・・この国の、そして我々の危うさである。