一斗 函・遺体遺棄事件・・・・

殺人者は憎むべき対象だが、その息された一斗函に数日間も、否、事件性をしるまでは無関心だった住民の、市民意識を私は疑う。つまり、市民・・・日本は全土が都市なのであるが・・・の地域に対する無関心、それはとりも直さず「隣人」への無関心以外のなにものでもない。

遺体の身元が判明するには、まだまだ長時間を要するだろうが、「身元」の特定が遅れれば、犯人逮捕の機会も遠のくことになるのだろう。つまり、犯人をのさばらせることになる。それは取りも直さず、我々、無辜の市民が、犯人と隣り合って生きて行くことになる・・・地雷が傍に在る様なものだろう。

江戸時代には、人口の増加に依るゴミの処理に幕府も苦良したらしい・・・プラタモリ・・・東京の彼方此方に残る「神がかった」地名は、窪地にゴミを埋め込み、其処に新たに生れた土地に名付けられたものだと言う。しかし、クルマのない時代・・・・遠くに遺棄することもなかったろうし、長屋だと、一人贅沢した事示すゴミを捨てれば、長屋中の噂にも成ったろうし、羨望もされたことだろう。市民としての、ディシプリンも、そんな所から生れていたのかも知れないし、江戸の街の美しさ、清潔さが、世界中の評判になった所以であったのだろう。

不法投棄は、在る条件で生じるのだそうである。山中に不法投棄されるゴミは、捨てる努力が要求されるが、街の中、人家の近くに不法投棄されるものは、地域に関する住民の無関心が、その主要因であると、これは、彼方此方の街でも聞くし、そんな事に多少でも関心のある方との対話の中に頻繁である。

ある場所に、通り掛かりのクルマから、TVが不法投棄される・・・数日後に数台に増加している。この場所に古TVの山が生じるのは時間の問題だそうである。反面・・・不法投棄された古TVが、地域の手で、即座に片付けられる・・・何度か繰り返されるが、いつの間にか、不法投棄の不適切な地域と言う認識がドライバー生れ、不法投棄が、当面はなくなる。しかし、努力が続く限り、その場所が汚れることはない・・・。

道路添いの不法投棄汚された場所を、そんな目で観察していると、誰にでも機が付くもなのだが・・・「俺がしなくても、私が片付ける義務はない・・・」・・・そんな感情が、自らの生活環境を汚しているのである。

大阪の一斗函遺体遺棄事件・・・数日前から地域の人々の目に止まり、臭いを感じ、犬すらが顔をそむけた・・・それでも、誰一人行政に届けることなかった・・・そこは、「人間が住んでいるのか・・・」と言いたくなるが、文句を言っているのは、他ならぬ「人間」である。

「旅の恥はかき捨て」的、我々のエトスである・・・江戸の街が美しかった。それは、幕府が、支配者が、病気の蔓延を恐れたからである。汚穢は、店の裏を流れる川(墨田川)の川船で、農村地帯に運ばれて肥料になる。長屋であれば、大便を売った代金は、長屋の大家の収入になり、小便は、住民の収入になったのだと言う。
その時代のパリでは、部屋に置かれた「壺」の中に排便・排尿し、それを二階の窓から、道路に捨てていたのである。従って、当時の、ヨーロッパの都市の道路は、中央に傾斜し、中央に「溝」が儲けられていた。道路が、中高になるのは、ナポレオン三世によるパリ大改造、そして、19世紀のペスト対策としての「下水道」の構築以後なのである。
ヨーロッパの都市は、ハード的に美しくなって、20世紀を迎えた。しかし、日本の江戸(各地の都市も似た様なものだろう・・・)は、市民の矜持と市民意識で、その美しさを保って、新しい時代を迎えたのである。今、東京に住んでいるのは、「無頼の徒」に近い住民・・・その故郷感のない住民が、各地に拡散している・・・大阪の事件は、その典型的なものであろうt、私は思う。

監視カメラ・・・防犯カメラとも言う・・・市民意識が喪失した街には必要不可欠なものであろう。「無頼の徒」の街には、無頼の徒に相応しいハードがに合う。そして、監視カメラを恐れない、善良なる市民が、その警戒を緩めない街こそが、人間の住むべき場所なのである。恐らく、原始の時代、人々は無頼の賊を防ぐ目的で「塀」を巡らし、時の砦を作り、傍ら、獰猛な野獣を防いだのだろうと、私は考える。つまり、怖かったのは、ほかなるぬ「人間」だったのである。「獅子身中の虫」も、そんな注意を、後世に伝える箴言だったのだと、私は理解する。

件の事件・・・身元が分かれば、犯人逮捕に時間は要しまい・・・しかし、指紋があってもDNAがあっても、殺された側が、限りなく善人に近いとしたら・・・悪人を特定するのは困難だろう。悪人同志、かつて悪人の仲間だった遺体だったら、それは身元が分かったに等しい・・・それを期待する人は多いだろう。しかし、誕生時の、指紋の登録、DNAの登録・・・そして個人識別番号・・・急ぐ必要があるだろう・・・と、私は思うのだが・・・自称善人の怪しき意識の反対で、前進には、まだまだ時間を要するのだろう・・・しかし、急いで欲しい・・・。