震災孤児と戦災孤児と・・・・Copy

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この二つを並べて評論するのは、現代人、とりわけ、他人を伍して生き抜いた、生き残った「老人」の傲慢でもあるのではないか・・・私自身は、家族そろって引き上げた「幸せ者」だから、孤児や、焼跡に生きた人々を評論する立場にはない。
一見した感覚で言えば、曽野綾子氏の言う様に・・・「甘えはないか・・・」の疑問を生じるのもやんぬるかな・・・曽野綾子さん程のフォローが出来ない私には、善意に理解するしかない。毎年、砂漠に巡礼団を・・・しかも、旅の途中での死を覚悟した人々・・・を引き連れて旅するその行動のを背景にすれば、十分であろうと、私自身は思う。
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私は、二枚の写真を大事にしている。一枚は、ブログの中に紹介したことがあるかも知れないが、記憶が怪しい。もう一枚は、美智子皇后のHPにアップされている写真である。
前者は、白木の箱を首から下げた女の子・・・説明がなければ「男の子」と見紛うものである・・・何故なら、恐らくロスケの凌辱を避ける為に頭を坊主にしているのだろう。場所は博多港と言うが、栄養が足らないので、髪が伸びていないのである。説明には、「母の遺骨」とある。父親は、シベリアに拉致され、母親は、大陸を南下する途中で命尽きたのだろう。記事は、その後を伝えないので、親族との再会が叶ったのか、どの様に生きたのか・・・その情報はない。年齢?・・・私は10歳と見た・・・私と同世代である。
後者は、死んだ弟を背負って、火葬の順番を待つ少年の姿である・・・こちらも同世代。こちらは、宮内庁のHPにアクセスして確認出来る。「凛として・・・」とは、この様な表情を言うのだろう。野坂昭如の小説・「ほたるの墓」で、主人公の少年が妹を河原で火葬にする。少年は、妹を死なせたのは己だと・・・その罪に苛まされているのである・・・「五十歩百歩」は短いエッセイだが、涙無しでは読めない・・・その差の大きさを語る野坂の心情・・・彼の酒も、その心の傷が飲ませるものなのだろうと、私は想像する。
しかし、多くの孤児が、逞しく生きた・・・しかし、子供の自殺が最も多いのは、戦後の数年だとか・・・統計資料もままならぬ時代の統計が語るのである。その多さは想像するに難くない。
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曽野綾子氏の様な比較は無理だろうな・・・との感想と共に、何時の時代も、戦災を含む災害は、子供達を犠牲にしなくては収まらないものだと、私は思う。その意味では、親は、大人は、老人は、「自業自得」なのである。
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我々は、「自然」のママに生きているのではない。「人間が作った社会」に住んでいるのである。その事を忘却して、「この世は住み難い・・・」等とは傲慢の極みであろう。地震にしても津波にしても、知恵を学んでいない現代人がその被害者である。吉村昭のドキュメンタリーを読めば、「何度遭遇すれば懲りるんだ・・・」と叫びたくなる。
「人の世が住み難い・・・と、言って、何処に住むつもりだ?」との夏目漱石の声が聞こえるのも、私だけではないだろう。そして、平成の子供達に言いたい・・・「忘れるなよ!」と。
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子供達の作文集「つなみ」を、ほぼ読み終わった。66年前の子供と、こんなにも違うのだ・・・私の事として思う。事象を冷静に観察し、把握し、状況を判断している・・・その様子に驚かされる。当時、同年代の高齢者の、戦時、戦中を語る言葉の「語彙」の貧しさを思う事である。表現力の乏しさを思うことである。
母を失くし、父を失くし、祖母を失くし、祖父を失くし・・・その表現が、「大事なものを沢山失いました・・・」とある。編集者の注釈がなければ、人の悲しみを文中に読みとれない私には、全く分からない。老いの鈍感・・・と、言えばそれだけなのだが・・・。
また、自衛隊に、警察に、消防関係者に、そしてボランティアに・・・感謝の言葉を忘れない。そして、数歳の子が、仲間を励まし、大人への感謝を込めて「壁新聞」を作る・・・題して「かんしゃしんぶん」・・・中学生、高校生の壁新聞もニュースに紹介されていた・・・メールの時代の教養なのだろうか・・・・。ツイッターだけの世界ではなかったのだ・・・寧ろ、社会人世代の若者の方が「痴呆化」しているのだろう。数年後、被災世代の子供が、安穏と他人任せの世代を追い越すのかも知れない・・・団塊の世代を追い越す世代の不在が、今日の低迷の原因であることを思う時、まことに心強いことではある。
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戦後の孤児の悲哀は、就職の「テテナシ子」差別だった。前線で華々しく戦死したのか、負傷兵として野戦病院で亡くなったのか、あるいは、輸送船の轟沈で亡くなったのか、ジャングルで、生死不明のままなのか、シベリア帰りなのか・・・色々、父親が戦争に関係して存在しない子供が、その差別に苦しめられた。「華々しい戦死」でも、何らかの証拠を求めた企業も多かったと聞く。また、父親の戦友の話を集める苦労をした母親もあったと言う。
「一億火の玉」になって闘った戦争だったはず・・・実は、誰も、そんなことを信じていなかった・・・日本と言う国の恐ろしさである。石破茂さんや、石原慎太郎が頑張っても、盛り上がらない「愛国心」・・・そんな教養もないのだろう。
私の入社した「八幡製鉄」では、オリエンテーリングの最終日に人事課長の訓示があり、「我社は、その様な卑劣なことはしていない・・・君達は厳しい、激しい選抜に合格してここにいるのだ・・・何ら後ろめいたものはない・・・!」と。
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この就職差別は、数年後に解消する。すなわち、それと期をいつにして「金の卵」のブームが生れていたからである。そして、昭和39年までは一瀉千里・・・恨みも忘れ、苦労も忘れ、身を粉にして働く時代があり、豊かになって行ったのである。
「鐘が鳴る丘」の子供達も、炭坑閉山で苦労をした子供達も、そして、一時の百姓ブームが去った後の田舎の子供達も・・・・みんな都会に出てきて豊かになり、否かに残った人々は、「出稼ぎ」に精を出し、先祖伝来の農地は、極道息子の銀座の飲み代で切り売りされた。
焼跡・浮浪児の世代の子供達は、それなりの新しい時代に順応して、古いものを捨て、新しいものに踊らせられながら、自らは産業構造の変化に踊り、農家の、若い嫁たちが、舅・姑への復讐を開始し、田舎に置き去りにされた末に、「痴呆」という言葉が「認知症」に代わり、自分が姑にいびられた時代を懐かしむ・・・今日、この頃である。
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特攻を語る人も、玉砕を語る人も、また戦後の買出しや、闇屋を語る人の存在も、もう20年だろう。戦争も戦後も風化する・・・風化することを嘆くのはナンセンスである。広島も長崎も、そして靖国も、名所ではあっても、戦争・平和を語るものではない。今、関ヶ原で、ここで行われた戦に涙する人はいないだろう・・・これが人間の歴史である。

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しかし、歴史には賞味期限がある。戦後の戦災孤児を語る・・・その賞味期限は切れようとしている。今回震災孤児の賞味期限が切れるのは・・・2,100年頃か? あるいはもう少し遅れるか・・・この子供達が、時代に一華咲かせる時、どんな時代なのだろう・・・こんなことを考えると長生きしたくなる・・・その華やかさを思いつつこの世を去るのが、上品な人生だろう。
被災地の子供達・・・そんなことを期待するに十分な資質を、私は思う。