円高に怯える不格好・・・・Copy

森鴎外が、ドイツに留学した頃、1ドルは1円だった。そして、夏目漱石がロンドンに留学した時の1ドルは2円だった。
鴎外は、夜な夜な夜会を楽しみ、恋人を得て優雅に、留学を楽しんだ・・・・恋人が、日本まで鴎外を追ってきて、森家を騒動に追い込んだが・・・それを題材に、「イタセクセリアス」なる小説をものにして、文壇の地位を確立した。軍医としての彼の大失敗は、「脚気」を見抜けなかったことにあるが、ヴィタミンの効果が、医学的に証明される以前だったので、余り彼の名声に傷を付けるものではない。しかし、日露戦争の戦場に、多くの兵士を死なせる原因になったことは、まぎれもない事実である。・・・こんな話をするつもりはなかった・・・。

夏目漱石は、殆ど外出もせず・・・と記す割には、色々な所を見聞しているのだが・・・・イギリス人の悪口を、こと細かに記している。イギリスに上陸した直後のヴィクトリア女王の葬儀に遭遇し、小男故に、十分に見聞出来なかったことが、あるいは、traumaになっているのかもしれない。沿道のイギリス人の肩車で見物したという文章に出会ったこともあるが・・・・果たして・・・。

また自転車の練習なども、下宿のおかみさんに習ったと云うから、本人が愚痴っぽく描くよりも、それなりに、因習にとらわれない、外国の自由を楽しんだのではないかと、思うが、高級軍人・鴎外の様な立場にはないから、そのことへのヤッカミがあったのだろうか・・・・鴎外のドイツ生活は、それなりに知っていたであろうから・・・。しかし、その貧富の差が、「為替」にあったことまで知っていたか、否か。
私は、このことを江藤淳の講演で知ったのだが・・・・・実は、ニクソンショックの直前にブラジル出張を命じられて、大手町の銀行で、1ドル;300円で、両替して飛び立ち、ロスに着いた時時には280円になっていた。そして、40日の滞在・・・もし、使い残しのドルがあったとして、その交換は、230円だったはず・・・ホノルルで、ポケットの底まではたいて使ってしまっていたから実害はなかったが・・・「為替」の怖さを身をもって知った。

当時の日本を、鴎外は普請中と言い。漱石は、熊本から上京する青年に、その車中で、「日本は滅びる」と、予言している。維新後100年を経ない国の実態をしっかりと見、そして判断しているのである。いうなれば、日本人が世界を正確に見ていたのも、この時代までだったのかも知れないし、外国を知らない大衆に、外国を語る資格を与えず、自らの国柄を、事大的に語ることも許さない雰囲気があったのではないかと、私は思う。
「日本は一等国」とは、誰が言い出し、誰が喧伝したのか・・・・日比谷公園の焼き討ちを扇動したのは誰か・・・犯人探しは虚しいが、そのpropagandaに踊った大衆と、昨今の「円高」を騒ぐ、芸人ニュースキャスターとどれほどの差があるのか・・・・あるいは、それを利用して、事態を有利に利用しようとする、国家指導者層・・・・企業経営者であり、学者であり、economistであり、政治家であり・・・の体たらくも、同類にしか私には見えない・・・・。

世界であれ国家であれ・・・・社会は人間が作り運営しているものである。それは、漱石が、その著「草枕」の冒頭に陳述しているphraseに尽きる。円高で潰れる企業、産業があれば、それは一刻も早く姿を消すべきであり、円高を利して頭角を現す企業があれば、それの成長を急ぐのが、経済、政治に関与する人々・・・知見を有する人々・・・の役割であるはず・・・・円高を理由に、労働者の馘首をするのなら、自らが裸になるべきだろう・・・・。

いうなれば、「波」を知らずして、舟は航行できない。舟の存在すらない。波の都合で航行できないふねなら、波が高く、風が強い日は、黙って港に係留されるべきだろう・・・・その為に漁が出来なくて飢えるのなら、それも運命として甘んじるか、あるいは、荒れる海で操業する技術を獲得すべきだし、工夫もすべきだろう。
日々の海上の経験で、変幻極まりない波、風に対応する知見と技術を習得・工夫した漁師だっけが、波荒き日の漁を許される・・・・当たり前の話である。

それが、「為替」の変動になると、庶民の責任の如くに、政治・経済・学者・economistの免罪の様に論じられるのは何故か・・・・鴎外と漱石に倣えば、80円のドルが40円でも可笑しくはない・・・鴎外は楽しみ、漱石は、外出もままならず、余った時間で、英国をしっかりと学んだ・・・・今、鴎外と漱石・・・・私は、漱石に凱歌を上げたい・・・。私の本棚にも、漱石は数冊あっても、鴎外は一冊もない。
一歩引いて、ドル買い介入をするのなら、高齢者の膨大な預貯金の全てを、ドル買いに投じるのも、一計ではあるだろう・・・・。円安で稼いだ剤である。円高ストップで貢献させても可笑しくはないだろう