小松政夫と紳助と・・・・Copy

日本喜劇人協会会長に就任した「小松政夫」の「3原則」・・・私の勝手な命名だが・・・・
1;汗をかいて走り回る。
2;笑わせ・・・3;泣かせる・・・・・・・・・・・・・・・・それが「喜劇だ!」。

私の好きな喜劇・芸人は、政治に口を出さない・・・・政治的に無知であるのではない。時々、その筋(政治家、評論家等)の人との対談の中などで、きらりと光る発言や言葉、あるいは御自身が大事にしている「箴言」などが紹介された時に、感銘を受ける。

NHKの「Deap Peaple」なる番組・・・・先日は、吹き替え声優、その前は、コロッケ外の「ものまね芸人」、あるいは、sports界等の一流の方々の鼎談である。コメンテーター・・・関根勉の絶妙な喋りも楽しみな番組である。
この中で、お互いの技術を磨く秘策が、私の目には、何ら隠すことなく、お互いに披露される。「こんな苦労をしているのだ、こんな工夫があるのだ・・・・」と、驚くばかり。マイクの使い方、僅かな「間」の工夫、声調のbalanceと、組み合わせ・・・・等々、楽しいものには、楽しくする工夫が、その「芸人」の努力・工夫で、私たちの目に耳に届けられていることを思う。

紳助もまた、それなりに精進はしているのだろう。ある週刊誌に掲載されている連続エッセイを楽しんだこともあるが、ここ数年は、本来の芸を忘れた「芸」が目だっていたと、私には感じられた。また、風潮として、局のannouncerを育てずに、芸人頼りのmediaに乗せられて有頂天になっている芸人の多さが気になっていた。

例えば、「大田光」の様に、「向田邦子」を語らせたら、研究者顔負けの芸人もいる・・・しかし、これは、二足の草鞋を、一足ずつの草鞋として履き分けている姿だろう。しかし、彼とて、時にnewsを吐くとき、その傲慢さが鼻にかかるのである。
newsとは、基本的に人間的なものである。だからこそ、伝える側の矜持が要求されるのであり、謙虚さが要求されるのである。特にTVの場合・・・・TVの前の視聴者は無知であるかもしれない、しかし、cameraに向かって喋っている己(芸人としての)もまた、同じ様に無知であるとの認識が不足しているのだと私は、思う。
脚本を準備され、scenarioが与えられ、説明用のパネルが準備されて・・・・視聴者にnewsを伝えているのだと云う認識の欠如といっていいだろう。newsに感情を付加して、newsを重く印象づける・・・・technicと思っているのであろうが、newsの中立性を失わせる犯罪にも似た行為だと、反省があってしかるべきだろう。
media批判の論者も、「高々芸人・・・」と、真面目に相手にしないが、それが、紳助の様な化け物を生みだすのである。

日に日に、色々な犯罪的な事実が露わになる・・・・気の毒だと思うが、せめて「紳助さん」と、「さん」づけで報道されていることに、慰みを求めて欲しい。そして、芸人を超えた言動に、自ら再検討を加えて欲しい・・・・近い将来、芸人を捨てた、政治家・紳助の登場を待ち望んでいる、特にご婦人が多い。

小松政夫・・・・当人は派手な芸人だと思っているらしいが、私の様に芝居小屋に足を運ばない私には、「地味」な存在である。時々、地方局のワイドショーに登場するが、コメントは常に控えめ・・・芸の事すら謙虚に語る姿が嬉しい。

冒頭の「言葉」は、今朝の新聞のコラムの中から拾ったものである。林家三平・・・頻繁に楽しんだのではないが、彼の口から政治が登場することはなかった。常に「よしこさん」と、世情の話題だった。その中に、時に私の姿を垣間見ることもあった・・・・笑芸とは、日頃は真面目に過ごしていると自負する「私」の何処かに潜む「滑稽」を教えられることにある・・・・紳助は、その意味では、芸人の資格を失っているのだと思う。もう庶民が見えなくなっている。庶民の個々人の間に存在する。人間的放射線が、彼には見えなくなっているのであろう・・・・芸人失格である。

小松政夫が、紳助の件で、どの様なコメントを発するか・・・楽しみではあるが、私は無視して欲しいと思う。紳助は、もうコメントに値する芸人ではないのだから・・・・