飲酒運転とヤクザ(暴力団)と・・・・

罰則強化、あるいは規制、取り締まり強化・・・で、その実害を失くす事が可能なのか、もっとハードルを低くして、効果を期待できるのか・・・私は、無理だと思う。特に、福岡、北九州・・・かつての産炭地(筑豊)・・・の歴史を考えれば、飲酒運転に類する「酒の勢い」は、この地に働き、生活し、貧しさに耐え、貧しさを克服するenergyであり、vitalityでもあったものである。
先ずは、「飲酒運転」から・・・被害者になれば、その怨念を長く持ち続け、あるいは、恨みは残るだろう。しかし、その被害を避ける為の自身に、自身の家族の油断を反省もするだろう。市中に、あるいは、繁華街の近くに住む人々には、取り締まりが厳しくなれば、「飲酒」=「タクシー利用」の構図がimageとして定着する可能性はあるし、現在に於いても、効果は生れているだろう・・・多少なりとも、飲酒運転による被害者の減少の証でもあると思う。
しかしである・・・・
少しばかり田舎に住み・・・自分の住処の環境には、小さなバー、あるいは一杯飲み屋の一軒もない様な場合、市中、繁華街で飲酒を楽しんで、その都度「タクシー」とは、容易なことではない。広義の意では、都市構造の問題なのであり、顰蹙は買うだろうが、飲酒(飲酒運転を含めて)寛容な箇の社会のethosが、作り上げている社会構造なのである。此処への「メス」を考えなくして、「飲酒運転の撲滅」は、角を貯めて牛を殺すことになるだろうと、私は危惧する。
現実に、10年ほど前に過したある街(名前を言うのは憚れる)では、飲み屋、バー、スナックの前には広い駐車場があり、随分と山の中から、市中の企業に働く人たちの憩いの場所でもある。もし、夜間、9時以降、朝方まで警察が取り締まれば、そこには・・・想像に難くない。それが、留置場が満杯になった話を聞かない。タクシーの運転手は、「jokeですな・・・」と笑っていた。その時間帯、パトカーは、その付近には現れない、そして、彼等の運転するクルマを遠くから見守っているのだと言う。勿論、「蛇行運転」等は、一先ず留置ということはあるのだが・・・・・。それでいて、福岡県の様な悲惨な事故は発生しないし、また、件数で、ワーストの数字には表れない。街の人々は言う・・・・「やさしい街なのよ!」と。
5年前の、悲惨な3児死亡の事故でも、加害・車の不安定な挙動は、後続の車からも明らかだったのではないか。それが通報されるでもなく、見のがされた事の罪は、私は重いものだと思う。結果的に「飲酒運転」になったのだが、これが、「車両の不具合」だったら・・・一本の通報で防げる自動車事故・・・・これへの関心が薄いことが・・・我々日本人の「我関せず・・・」のethosの方が、私は「飲酒」よりも、犯罪性が高いのではないか。
「飲酒」とは文化である。しかし、この国の文化は偏在が甚だしい。つまり、「ON」か「OFF」かであり、小さな、素朴な、つつましいバーが一軒あれば、遠距離の飲酒運転は無くすことが可能・・・そんな知恵も必要なのではないか。また、他人の運転に、あるいはクルマの挙動への無関心を「無くす」ことこそが、交通事故防止の原点に必要な理性・理念ではないのか・・・熱くなって、必要な判断を見失わないことが肝要であろう。

次いで、「暴力団・ヤクザ」・・・・全国的に「暴力団追放・・・略して暴追・・・campaignが盛ん。北九州市長・北橋賢治が、顔中に青筋立てて、大きな声を上げていた。彼の出身地はどこなのだろう・・・衆議院宮田早苗を引き継いだ「落下傘・政治家」だから、この北九州の歴史も、風土にも疎い・・・この地を十分に知り尽くした政治家なら、こんな叫び・雄叫びは上げないだろう。
そもそも、北九州は、貧しい寒村に突如出現した・・・日露戦争のお零れとして・・・都市である。周辺に、炭田があり、土地は沢山あり、人は、、これまた周辺の村々から、いくらでも集まる・・・そして、港を作ることが出来る・・・そんな条件で建設され、発展した街である。
つまり、「ヤクザ」のエレサレム、つまりは「聖地」の様な場所として、拡張発展した街である。若松に火野葦平あり、現在は、直方に魁皇あり・・・飯塚は、嘉麻峠以北の文化都市だった。そして、博多とは峠一つで緊密に繋がっていた。そして、汚れを落とす、聖地は笹栗の杯十八か所があった・・・・。そして、博多は、仏閣の街。
「ヤクザ」とは、信仰の徒でもある。博多に祭りが多く、山笠、どんたくと、博多商人の元気も、峠を接して存在する筑豊、そして、その延長の近代工業都市北九州の存在が支えるものある。
「富」が集まれば、其処には、人間の争いが生れる。生きるか・死ぬか・・・とは、言うが、「命」を失くす、奪う喧嘩は下の下である。ほどほどの所で納めるのが、上手な喧嘩、上品な喧嘩・・・このDNAを見事に今日に健在させているのが、アフガニスタンに活動し、アフガン人に貢献する「中村哲」氏である。彼の叔父が「火野葦平」であり、その父親が、美空ひばりも頭があがらなかった若松の大親分・玉井金五郎である。
飯塚に「伊藤衛門」あり、若松に「玉井金五郎」あり・・・筑豊の石炭・双六の「振り出し」と「上がり」である。
「沖のごんぞう」・・・若松港の荷役人夫・・・蝶々蜻蛉が鳥ならば、沖のごんぞうも人の中・・・と言われた、激しい労働に耐える人々だった。山口組も、広島の港に駅から発展したと、私は読んだが・・・・誤解はあるかもしれない・・・荷役とヤクザの「縁」も、この様な重労働で、経済を支えた要因として存在するものなのだと、私は思う。そして、昭和20年代(だったと思うが・・・)の「博多戦争」を経て、今日に繋がる、暴力団構想が延々と続いているのだろう。
その背後に存在する力学は、今回「紳助」騒動の発端となった、「問題解決」の手法にあることは、古近・・・国定忠治の時代から変わらない。鎌倉政権が成立した時、国守の元に「地頭」が置かれた。これが、管領制の崩壊に依って、武田信玄や、織田信長上杉謙信などの戦国大名を生みだす・・・ヤクザも、この流れの延長線上にあるものだと考えれば、今日的には、権力闘争に明け暮れて、その実力・政治力を失った、「朝廷」と、昨今の警察との繋がりも見えてくるのではないか・・・・
紳助の右翼に絡む問題解決に警察が、適切に手を売って居れば、あるいは、この種の「口害」とも言うべきトラブルの解決が、警察量としてルール化出来ていれば、今回の紳助の不祥事も生れなかった・・・・街の、ヤクザと言われる団体の存在理由も薄れると言うものであろう。
今、この国で、最大に差別されているのは、「暴力団」と言われる範疇にくくられている人々である。恐らく、学校では、子供達が、肩をすぼめて生きているのではないか・・・・昭和20年代・・・炭坑の小学校では、一つの実力だった。極貧の極みにあったわが家も、可なり助けて貰ったものである。細胞は、役所の中の課長補佐位までは浸透しているから、役所の窓口で、その人の名前を出すだけで、問題は即座に解決した・・・つまり、我儘が承認されたものである。まさに、弱者の味方、黄金バットの様な存在だった・・・・当時、チンピラが表で問題になることはなかったが、そのチンピラが、おばさん達に頼りにされるようになり、いっぱしのヤクザに成長する・・・眩しい光景でもあったと、晩年の母が、自慢げに語っていた。

総括・・・・「飲酒運転」、「ヤクザ・暴力団」・・・・それは歴史的な存在である。それが問題になるのは、それを上手にcontrol出来ない、時代の人間の知恵の不足にある。法が全てを解決に導けるものではない。我慢も必要、駆け引きも必要、知恵も必要、知識も必要・・・・そして、無いよりも、問題解決への自らの訓練が必要なのである。千年一日の如くに、問題から逃げ、他人に無関心、無干渉を美徳として偽善的に生きていて、自らの問題解決能力の不足を恥じない・・・僅かな不満、不平等、不自由を非難して、街をデモする人々の姿でもあるのだが・・・自らの謙虚さなくして、問題解決が叶うはずがない・・・・この視点から、社会は如何に在るべきか・・・自分で考え、討論し、政治に反映させるべく努力する・・・一代、二代で可能な問題ではない。

「警察」=almighty・・・と考えること・・・その事が、飲酒運転の環境を作り、ヤクザの必要性を喧伝していることになるのではないか・・・心すべきであると、私は考える。