新内閣への危惧・・・・Copy

「危ないな・・・・!」との危惧。大臣の顔ぶれである。勿論、大臣のプロファイルに詳しいわけではない。寧ろ「無知」と言っていいだろう。だから、新聞に掲載された「略歴」に依って知る範囲である。見えない部分での研鑽もあるだろうし、人間・ネットワークの中での資質もあるだろう・・・それが、有効に政策を生み、政策に反映されれば、私の危惧は危惧に終わる。
しかし、newsや、著作、雑誌の論文・記事に知る機会の多かった自民党の諸大臣でも、結局、途中更迭が何度もあった。大臣の椅子に座った時に、己の力が発揮できるか、発揮すべき力が備わっているかが、明確になるまでには時間も必要だろう。しかし、現在は、そんな余裕が許されるのか・・・・との思いはある。

例えば、一川・防衛大臣・・・・今は、被災地復興が大事だから、「国防」は二の次だと・・・・言う、内閣の、messageなのか・・・・10万人の自衛隊が被災地に派遣されて、「国防」の心配、懸念を、民主党は、党も内閣も殆ど抱かなかったのではないか…・自民党の、石破政調会長が、何処かで発言していたと思うし、自衛隊の、「新しい使い方・」が見えて、今回。東日本大震災、大津波は、僥倖だったと発言した民社党の幹部がいたとか、いなかったとか・・・・今回の野田新内閣のconceptだとしたら、この内閣も短命を覚悟しなければなるまい・・・・と、私は思う。人柄の良い総理を得たのに、残念ではある。

もう一人は、安住・財政大臣・・・殆ど素人だとの、諸評論家の弁である。当人は器用な方の様だから、官僚におんぶにだっこしていれば、その中に己が成長する・・・そんな気分なのだろう・・・と、私は想像する。私自身が、どんな転属にも、配転にも、出向・転籍にも恐怖することなく、41年間を務めた・・・・特に、どんな特命事項にも、それなりに対応して便利な人間として、使い回しされた嫌いはあるが、それが、「給料取り」だとの、私の信念を揺るがすものではなかった・・・・だから、安住大臣が、その気なら、私も陰ながら成功を祈って上げたい・・・・
人間万事塞翁が馬」なのである。一川・防衛大臣は、そんなことをしている間に、missileが飛んでくる恐怖はあるのだが・・・・その時は、一蓮托生・・・政権交代の犠牲に、全国民がなるのだから、悲しがる余裕もないだろう・・・・少なくとも、missileに搭載された「核」の”きの子雲”の雲を眺めながら、喜びに打ちふるえて死んで行ける幸せな「左翼政治家」もいるのだから・・・・全・日本人が不幸なのではない。

原子力発電が消えて、「蛍雪」の灯りの下に学ぶ幸せな世界を待ちわびる人々も多いだろう。石油を求めて、アラブやロシアに派兵されることを名誉と思う若者もいるだろう・・・そんな時代に、私は生きていない。子孫もないから、何の心配もないのだが・・・・己の役割を果たせなかった「魂」に禍根は残るだろう。「魂」なき日本人からは、笑われるだろうが・・・・笑う奴うを、私は軽蔑する・・・・千の風に吹かれながら・・・・。
菅・前総理の、「やるだけのことはやっと・・・・」とは、亡国への道への準備は出来た・・・と、言うべきものだったろう。鳩山由紀夫は、長男が、ロシアにいる限り、「鳩山家」は安泰と安心なのだろう。日本の貴族がロシアの貴族に変身できるか、否か・・・に保障はないが・・・。

「種」が減少することは、すなわち「滅び」である。多様性とは、ランダムであり、混乱であり、争いがある。その生存競争が、組織を発展・発達させる。争いのない世界・・・・酔生夢死・・・である。静かな「野田政権」・・・・このまま静かであるはずがない・・・・物理的な法則(エントロピーの増大)である。その反乱・混乱・乱れ・揺らぎを、如何に利用して「脱皮」するか・・・・そして、混乱・脱皮のサイクルの中に生き延びるか・・・その覚悟はまだ見えない。「融和」を金科玉条としている限り・・・「融和」は生まれない。

「平和」とは、戦争の「準備」のことでもある。我々も、此処から、どんな「戦争」が惹起すぅるのか・・・楽しみでもあるし、次の選択肢を探る思考が必要とされるだろう。