紀伊半島大水害・・・・Copy

川は溢れるもの、山は崩れるもの。その感を深くする。TVでの観察だが、二次林の山肌は崩れていあにのではないか・・・誤認もあるかも知れないが・・・。植林の人家の近く、道路の開削を行った崖とその周辺・・・台風・水害のニュースの度に目にする光景である。特に、植林の山肌、特に、崖の上部は危険である。更地に、隣家と分けあった土地・・・自分の家が先に建ち・・・数年遅れて隣りが家を建てる・・・その時、庭を広くする為に、隣に隣接した部分を一段低く削る・・・それだけで、一段高い隣家の土地に影響が出る・・・特段に争いになる程のことはないが、数年を経て、犬走りに小さな亀裂が生じたりする。地球の表面とは、そんなに微妙なのである。

崖の近く住む人が、川の流れを眼下に見下ろして、風よけに大きな木を植える・・・大きく育った木々が、風よけにもなり、日照も和らげてくれる・・・・しかし、庭に生じる僅かな亀裂に無関心だと、そこから沁み込んだ雨水が、土地を崩落させる危険は、常に潜ませているのである。
TVにも、山の中腹を巡る道路と崖の間にある家・・・杉が植林してあったが・・・の床下部分から、崖が崩壊して、家が宙に浮いていた。

そもそも、地球は常に動いている。列島自身が、その崩壊を繰り返して、その結果として出来た「平野部」に、我々は生きているのである。時に、もの好きが、山中に庵を構えることがあっても、それは、木々の間に、謙虚に間借りさせていただく程度のものだったはずである。だから、人口が増えれば、人は「街」を作り、自然が許してくれる程のスペースを造成して住んでいるのである。
地球の表面・地面も、太陽の熱で膨張したり、露や雪で収縮したりするだろう・・・そこには、応力も生ずれば、歪も生じる。大地だからと、盤石だと信じるのは、少々幼稚過ぎる。加えて、植林したり、植物採集と称して掘ったりすれば、そこから雨水が浸透し、傷を深くする。また、木が風に揺らげば、根元には亀裂が生れる・・・そこから、浸食が始まる。勿論、土地の力で修復もあるだろう・・・だから、少々の雨・風では崩落しないのである。その限界はいかなるものか・・・それを知ることは、人間には無理である。観察で、危ない程度を察知するだけである。無頓着とは、無縁の世界ではある。

川は、至って「人工物」である。これを自然と信じ切って安心するのは愚かである。太古、水は、自分の好きな場所を流れ、好きなだけ広がる。薄く広く流れるのが「水」である。海や湖が、異常な水の状態なのである。その水を制御する為の文明が「川・河」なのである。だから、堤防は、可能な限り低い方が良い・・・と、言うことは、川幅は、可能な限り広くしておく事である。中国の古書には、堤防を高くすることの愚かさが詳細に記されていると言う。況や、川の堤防の内側に住みつくとは・・・「カワウソ」ではあるまいに・・・。
幕藩時代まで・・・昭和になってもその雰囲気はあった・・・長い、大きな川は、特に天井川は、その上流に、いざと言う時には、堤防を破戒する場所が決められていた・・・水が溢れる場所は、殿様の「お狩場」として、町民・百姓の立ち入りは禁じられていた。
昭和28年・・・父や叔父から聞かされていた通りに、遠賀側の西側の堤防が切られ、もう農地になっていた一帯に溢れた時は、歴史を実際に見る思いがしたものである・・・高校2年だった。今は、工業団地になっている・・・東側のさびれた商店街と、どちらが価値が高いのだろうか・・・遠賀川の溢れる豪雨を見たいものだと思う・・・不謹慎ではあるが。藤沢周平の「蝉しぐれ」でも、主人公の父が、殿様に進言して、藩の危機を救う話がある。

近代の洪水災害は、社会病と言うべきかもしれない。海上の嵐は、気象観測を利用して逃げることができる。しかし、川の水量の危険は予知できても、その、水の逃げ場がない限り、災害を逃れることは出来ない。しかも、日本の河川は「滝」である。「危険」を察知した時には、既に「遅れ」の状態であることが多い。
今回、紀伊半島の水害・・・殆ど、その危険を知らせるインフラも、非難のインフラもなかったのではないか。ダムを作る前の、非難のインフラが整備されるべきだったのである。
山の多い地形・・・反面で、自然の豊かな地形である・・・しかし、人間の知恵の貧しさが、多くの人の、幼い子供の命を虚しくした・・・・大人は、大いに反省すべきであろう。
「澤登り」に詳しい先輩に聞いたことがある・・・私が、指導をお願いして、許されなかった・・・澤登りは、常に上に注意を集中する・・・何故か・・・水は、足下からは湧いて来ない。空に、雲が湧き、雨雲に変じ、雨になる・・・逃げるチャンスを何処に探すか、何時逃げるか・・・全体のスケジュールの中に、常に変幻に設定されなければならないと・・・恐らく、日頃は静かな川であっても、その注意を疎かにしてはならないのであろう。
「川とは・・・・凶器」であると・・・。

彼方此方に堆積した漂流物・・・津波の跡にも似た・・・から、山が荒れていることが想像される。かつて、九州の中央部に豪雨があった直後に阿蘇の外輪山を訪れたことがある。密集して林立していた杉が、林を真っ暗にする様に倒されていた。根こそぎ倒れたものは、水流に押されて、筑後川流入・・・中流下流に多大な損害を与えた様子は、連日新聞に報じられていた・・・木材が売れなくなっていた時代だったのである・・・・。その意味では、山の災害は、そこに住む人々の意識の惹起するものであるとも言える・・・その杉の産地の家が、外国産の木材で建てられていると、嘆く声も聞こえていた。

「街」に住むには、人が人を慮らなければ、環境は険悪になる。自然に近い所では、そこに注がれる人の目が外れる時、その報酬は災害となって返される。

少子化、過疎化、人口減・・・・人里離れて住む事が、生活することが、そんなに大事な事か・・・自然と共に・・・それは、事故責任であるべきではないか・・・自然は、自然のままに荒れる方が、自然なのではないか。百年もすれば、殆どが原野に還る・・・野生動物に返すべきではないか・・・・もの好きが、己の危険は己で護る事を条件に事故責任で住む・・・自然とは、そんな環境であるべきだろう。懐かしい「故郷」とは言え、己の力にあまる「故郷」を、懐かしむことが美しいことか、大事なことか・・・自然が、自分で壊せば、それほどの大事には至らないのではないか・・・身の丈に合った破戒を繰り返すのが自然だと、私は思うから・・・。まだまだ、考えたい。