失言大臣を弁護する・・・・Copy

大臣の「死の街云々」発言・・・・被災地の惨状を目にして・・・「死の街だ・・・」が、特段に間違った表現だとは思わないが、被災者を前にしては、心の中の「呟き」であるべきだろう。しかし、世の中は、「つぶやき;ツイッター」全盛・・・・私自身は、こんなバカなもの・・・・これも失言だろうか?・・・に触れることないが、其処から、思ったことは、思考回路を経ずに口に出る習慣が生まれるのだろう。むべなるかな・・・・わぁわぁ・・・騒ぐ程のことでもないと思うが、政治家ならずとも、他人の言葉の上げ足取りの好きな国民だし、メディアだし、マスコミのnewsを伝える能力の不足が招いている「事象」だから、政治問題になるのも止むを得ないことだろう。
自民党が、これをしつこく取り上げると、そのことへの批判精神もそろそろ国民の間に生まれている市、肝心の議会活動が阻害されると、批判は自民党に集中する・・・・公明党の旨さは、そんなことに深入りしない賢さ・・・つまり、都会的な感性であり、上品さである。特に、今の代表は、やさしいintonationと、柔らかな語り口の中に、痛烈な批判を表現することに長けた人物である。自民党が、捨てられる可能性は大きいと、私は思うし、危惧する。
失言は・・・・「これは大変なことだ・・・」とのnuanceで口をついてでたものだろう。表現としては、的を得ていると私は思う。「大変ですね・・・」との御世辞が、耳触りはいいだろう・・・・しかし、それでは被災者の心には届かない・・・・況や、閣内、党内へのインパクトも小さい・・・・大臣にしてみれば、精いっぱいの表現ではなかったか・・・・寧ろ「無言」の方が、私は良かったのだと思うが・・・・それでは、マスコミが、また、言葉の少なさを指摘するだろう。
この国の政治は、「マスコミ」に依って歪められていることを、我々も、ニュースを見たり、聞いたりする時に考えなければならない・・・・各紙の「投稿」に、自紙への厳しい批判・・・報道姿勢・表現・・・を掲載する新聞はない・・・・と断言できるだろう。つまり、ある投稿の撰者の弁によると、「中学生レベル」の読者に理解できるもの・・・と云うのが採否の基準らしい。
また、社外モニターが、殆ど機能していないのではないか・・・・小さなコラムに、その評が時々掲載されるが、殆どが「褒め言葉」である。それほど「褒められる」に値する記事になっているか・・・・今回の、「死の街」の大臣発言だって、その様に目に映った大臣の心の内を伝える記事はないし、その心の中と対話する様な記事にも見当たらない・・・・単なる「暴言」として扱っているのだが、「暴言」なら、何故「暴言」なのか、記者は、インパクトにある言葉に、どんなnuanceの単語を、言葉を選ぶのか・・・・そこまで、伝えて、「言葉で生きる人間」の覚悟であろう。
先の、小宮山発言・・・・タバコが安過ぎる・・・・これは、大方の世界の判断である。主要な輸出品であるとの発言もあるが、外貨を稼ぎながら、国内の医療費、あるいは、医療費保険の制度を危うくしている現状を踏まえて議論すれば、如何なるものになるのか・・・・それを報じるのが、マスコミ、ジャーナリストの役割であろう。小宮山発言が、組織を無視したものであることは、国民の多くが感じているだろう・・・それだけにインパクトがあったのである。
一箱;700円・・・・パチンコの景品にも影響するだろう。喫煙者が減少すれば、喫煙者保護の、諸設備への支出も減らすことが出来る。また、煙草を吸わせない「現場」のmanagementにも変化が生じるだろう。一人孤独に煙草を吹かすより、忌憚なく語り合える職場作り・・・・もっと、議論の出来る社会の雰囲気の醸成に貢献できるのではないか・・・・・タバコをくゆらせながら・・・・そんな雰囲気で、会話は弾む筈がない、煙草一本の時間を耐えているだけなのである。タバコがなけらば、もっと話ができるのに、タバコが燃え尽きた途端に、話が終わり、別れる・・・・寂しいではないか。
記者諸君が、決して対話の、議論の専門家ではない。一人孤独に、独善的な記事を書き、新聞が売れれば、その内容を問われることがない・・・・事実は、TVが見せてくれるのだから・・・所詮は「二番煎じ」・・・先の、福島応援の物産販売が中止になったいきさつに関する記事のだらしなさ・・・目に余るものがある。「正義」を論じ、新聞の立場を明確にし、これまで報じて来た被災地のnewsのマナーを考える絶好のチャンスだった・・・・その難しさがあるから、NHKも民放も殆どTVのnewsに取り上げない・・・・「風評被害」を考える絶好の機会なのに・・・・
もっとも、TV蘭のために新聞を購読している私が、とやかく言う事はない・・・・御尤もではあるのだが・・・