「子どもが邪魔になる・・・」のニュース・・・・COPY

今朝(12日)の「みのもんた」の番組・・・母親に、「子供」が邪魔になっていると言うニュースである。NHKの特番等で目にする小学生、中学生の姿は素晴らしい・・・苦境を親と・・・いや、親以上の覚悟で、己の肩に乗せて日常を生きている姿がある・・・津波に攫われた友人の分まで生きて、故郷を再生する覚悟が伺えるのである。母親に邪魔にされる子供とは、幼児のことだろう。

満蒙、北朝鮮からの脱出・逃走の手記では、生きる力は、子供の「力」に任された・・・「流れる星は生きている」にも、誕生2ヶ月の幼児をリュックに入れ、3歳と5歳の息子の手を引いて南に逃げる母親の姿・・・藤原てい・・・が、凄まじい。「お前は、ここで死ぬつもりか・・・」・・・「頑張れ・・・」とは言わない。もうその域ではないのである。母親からはぐれるのは、自ら「死」を選ぶに等しいのである。恐らく、東京、各地の無差別大空襲の中にも、多くの親が、子供を劫火の中に身捨てなければならなかったのであろう。
中西 礼の母親は、満蒙からの逃走中にソ連戦闘機の機銃掃射を受けた時、母親の傍に依って来た、少年・礼を突き飛ばしたと言う・・・・「お前が、私と一緒に死ぬことはない・・・!」・と。つまり、助かれば、母親に構わずに、一人で生きよ!・・・と、叫んだのである。幸い、母子、兄弟そろって日本の土を踏むが、「母・子」とは、そんな関係なのである。平和な時は、「乳」をまさぐる幼子を膝に抱くが、危機が迫った時、その子を路上に晒して危険から遠ざける・・・そんな蛮勇とも言うべき勇気を、母親の心情は生むのである。父親に、その勇気はない。故に、ソ連軍に追い詰められて、我が子を銃殺するのは、父親である。

日本海を、小さな、手漕ぎ、帆掛け船で脱出した私も、父の質問したことがある。時は5月である。日本海にはMay stormが頻繁である・・・現に、釜山から仙崎の一夜は、そのstormにまんじりとも出来なかった。その質問は・・・興南から注文津の間で、あのstormに遭遇したら・・・と。恐らく、鱶の餌食になっていたはずである。父は言下に言った・・・「それは運だと・・・」。同じ舟に乗り合せた大人達には、その覚悟があったのだろう。その「運」とは・・・生き延びるのも「運」、其処で、鱶の餌になるのも「運」と言うことであろう。
凪が続き、舟に水が尽きた時・・・水筒の蓋に一杯の水を、三人の兄弟に分けて、「ここで飲んでしまえば、もう水はない。どうするかは自分で決めなさい・・・」と、母親の説得・・・父親には出来ないことだと、晩年の父は語った。弟は3歳・・・私が管理を任されたと記憶する・・・つまり、お前の水は、弟に与えよ!・・・との暗黙の命令だった。母親は、理屈抜きの残酷な強さも併せ持つものなのである。

状況を、多少でも自分の力でなんとかできる間は、子供の「運」は親の手に握られている・・・・しかし、親のてが及ばない状態になった時・・・それは「運」なのである。その後の、己の軌跡を記憶に辿ってみると、病ならずとも、交通事故、工場の事故、あるいは現場監督の足下の陥穽、足場に命を失う危険は幾つもあった。事故に遭遇するのは理不尽である・・・何度か目にし、あるいは建ちあった「死の現場」にも、己の「運」を思ったこともある。

藤原ていも、子供を自分の手で殺す父親を、何人も見ている。父親をソ連軍に拘留された「てい」は、子供達を無事に内地に連れて還るのが、夫への忠誠でもあったし、自分の役割でもあったし、自分が生きる意味が、そこにあった・・・「母親」が、自分の身体から生みだした「命」である。「じゃま」になってはならないものなのである。他人に、中国人や朝鮮人に子供を渡した母親は、自分の「命」として、子供の命を生かそうとしたのである。

津波であれ、放射能であれ、母親の心配は、「子どもの命」なのである・・・「邪魔になる・・・」とのニュースの言葉の使い方は、鉢呂・前大臣の暴言と同じ言葉使いをマスコミ、メディアがしていることになるのだが、その事に気がつかない傲慢さも追求されるべきであろう。ともあれ、「母親の不安」の表現なのである。自分の力だけで生きよ、子供を生かせ・・・と言うのなら、それなりの方法はある。それが、戦後の焼跡の生き方、子育てでもあったのである。子供に「盗み」をさせる、気の弱い大人を恫喝する強さも、子供が生きるための知恵だったのである。「略奪」もまた、外国メディアの称賛を浴びる様なことではなかったはず・・・・その強さが、母親に、父親にあれば、あるいは許される行為だったのである。

外見を憚って、内面で苦悩に苦しみ、その被害者が「子ども」になる・・・この矛盾を誰も解決できない。あるいは、解決への方策を提供してくれない・・・・「みのもんた」も、むしろ・・・略奪でも、恐喝でも、はたまた強盗でも、何でもやんなさい・・・そして、子供を育てなさい・・・と、アドバイスすべきだろう。

平和な九州では、「コウノトリ」に、子供が預けられている・・・被災地では、まだ聞かない。被災地の母親は強いのである。その「強さ」が、骨折や、捻挫で、挫折しないような手当・・・急がれるのを熱望するが、その側面で高齢者の強さを期待したい・・・・戦後から、ここまで復興して来た日本を失いたくないのである・・・ならば、戦災に匹敵する光景に、戦災後の光景が蘇えることなく、新しい明日の日本が生れるべく、子供達を大事にしてあげるべきだろう・・・その為に「母親を・・・!」